蒼天のかけら  第十二章  譎詐の森


強情


(人望もありますし、丁寧な人です。どこがそんなに気に食わないのですか――)

 率直に問われて、わかっていないと返したことがある。
 小首を傾げて困惑していた彼女は、最後まで真意を理解してはいなかったようだ。
 勘がいいのにどうしてわかってもらえないのか。あの時はもどかしくも思っていたが、いまとなっては頷ける。
 こいつには、少なくともサキに対しての悪意がない。同じように害意も持ち合わせていない。こうなると彼女の勘は「安全である」と判断してしまう。
 彼女の最大の長所は、最大の欠点でもある。悪意や害意に意識が向いているせいで、それ以外の感覚を逃しがちなのだ。
 真導士の勘は野生の獣のように鋭敏だという。
 特性によっては、獣よりも優れていることもままある。本能が優れるのはいいことだ。しかし、それだけでは足りないのもまた事実。
 獣と人の差は思考にあるという。
 深く広く、多岐にわたって巡らせる思考が人を人であらしめる。彼女の勘ではこの違和感を読みきれない。
 本能とはまったく別の場所。策略と呼ばれる領域の話だからだ。

「君も飛ばされてきたんだね。やはり冬のローブが原因だったか」
 一見してとても友好的な表情を浮かべ、近くまで歩いてくる。
 さくりさくりと足音がしていた。耳に届く足音は一つだけ。つまり、この場にいるのは自分達だけ。
「……どういうことだ」
 疑問を口に出し、見知ったはずの森を眺める。
「どういう、とは?」
 あの真術は観察力と想像力を要求される。細かい癖や服飾品を違和感なく完璧に再現できねば、即座に見破られる。使いこなせるまでには、それこそ十年単位の時が必要だと真術書に書いてあった。
 男の額を穴を開けんばかりに注視する。
 こいつの額飾りはアマトリアン。ドルトラント南東で産出される希少な石。
 動くたびに色を変える石をじっと見つめ、本物であることを確認する。色の移り方もそうだが、真術ではここまで再現するのは困難だろう。何せこいつのアマトリアンにはもう一つ特徴がある。
 表側に家紋と思しき印が刻まれているのだ。
 声、気配、容貌、装飾品。そのうっとうしい仮面からしても、こいつは間違いなくイクサだ。
「お前が幻視なら話は早かったが、どうも本物のようだからな」
「ひどいな、疑っていたのかい」
 合同実習で破損していた仮面は、修繕の際により強化されてしまったようだ。
 ……ヤクスめ、まったく余計なことをしてくれた。
「奇妙だから仕方ないだろう。ここは"迷いの森"だぞ」
 "迷いの森"は、惑わしの森。
 民が足を踏み入れても、伝説の世界は決して覗けない。けれど真導士が足を踏み入れれば"第三の地 サガノトス"へ到達する。
 しかしながらこれには条件がある。
 『選定の儀』でも使われるこの森には、特別な真術がかかっているのだ。
「俺達は燠火同士だ。相性がいいとはとても思えんな」
 燠火に懐く精霊は気性が荒い。
 近くで真術を展開すれば潰し合いすら起こると習った。
 この森にかかっている真術は、真導士としての相性を判定している。共に戦い、背中を預けあう相手を選ぶ場所で、こいつと遭遇すること事態が不自然だ。
 "真穴"に敷かれた真術は、外部から手を加えなければほぼ永久に存続する。勝手に切れるとは考えづらい。罠を解除した時に収束させたのか。
「なるほど、奇妙だ。でもオレは真術じゃない。真術が弾かれているか……、もしくはもう一つ可能性がある」
「何だ」
 聞いたら何故か自分を指差してきた。そうして相変わらずにこやかな仮面を被ったまま、面白そうに言う。
「君が真術、とかね」
 皮肉を多分に含んだ発言は、ただ気分の悪化だけを招いたのだった。






 導士地区にて異変あり。
 行方不明者数、四十八名。帰省中の一名を除き、聖都へ下った形跡なし。家屋への破損、血痕等も確認できず。
 現在、第二部隊、第三部隊にて捜索中。

 輝尚石から漏れてきている報告が不気味な振動となり、黴臭い通路を伝っていく。内容は先ほどと何ら変わりがない。
 サキだけでなく"黒いの"まで消息を絶った。
 一報の時点では無事だったにも関わらず、忽然と姿を消した。よもや家に別の細工があったのかと捜索へ赴き、"黒いの"が残しただろう手がかりを見つけたという。
 道半ばで途切れている足跡。
 家から出たことを声もなく伝えてきていた。無駄に騒ぎ立てている輝尚石とは対極に、手元の輝尚石は沈黙を保ったまま。くどいほど気を回すあれのことだ、黙契は所持しているだろう。なれば連絡を寄こせぬ訳がある。
 状況が変わったため、第一部隊が内通者の捕縛に乗り出した。先ほど全員を捕縛したとの連絡が届いたばかりだ。いまごろ中央棟の牢獄は、鼠であふれかえっていることだろう。

 白楼岩でできた通路を足早に行く。長い年月でゆがみが出ているようだ。天井の亀裂から水が滴ってきている。時折、目的の場所へと急ぐ足が、水溜りを盛大に跳ね上げる。構わずに歩を進めていた時、入口から強い気配が飛んできた。
「バト」
 頭に直接響いた声を受け取り、黙契を展開する。
「ティートーンか、何用だ」
「あらま苛々しちゃって。そう怒ってくれるなよ、兄徒殿。本番は最前線でって希望していたのはお前だろ。それに配役を決めたのはシュタインだ。心配だからってオレに八つ当たりをしないでくれ」
「……無駄口を叩いている暇があれば、あいつらの捜索に専念しろ」
「言われんでもやってるさ。喜べ朗報だ。手がかりをつかんだ」
 足元で高く水飛沫が上がる。
「補給部隊に内通者がいた。冬のローブに細工を仕込んでやがった。男女それぞれに違う真術を籠めるよう、フィオラから指示されていたってな」
 家でもない。家具でもない。
 そして道にも仕込まれてもいないともなれば、考えられるのは装飾品。彼奴らがばら撒いていたくだらん玩具は、すべて潰してある。
 残すはどこかと捜索していた結果が、ようやっと実ったようだ。
「通路はローブ。通行証は鐘。男女それぞれにと言ったが、こいつは違う場所にということらしい。行先を分けて転送の真術を籠めたようだ」
「転送先は」
「こいつは厄介なことに不明。経由地点は判明。経由地点の輝尚石は全滅していた。証拠隠滅まで手抜かりないようで嫌になっちまうぜ」
 奴の感情に合わせて、飛んできた真力が大きくゆれる。
「経由地点は何処だ」
「聞いて驚け。お前がいま歩いているところの真上。つまり導士地区の下だ。解読部も把握していなかった遺跡の地下通路があった」
 サガノトスの下は"真穴"と"真脈"の巣。
 ゆえに真術での捜索が難航する。満ちあふれている真力が、過去の遺物を覆い隠すせいだ。
「雛達は"真脈"に乗せられて遠くに行っている可能性もあるし、遺跡のどこかにいる可能性もある。どちらにしろ"真脈"伝いの捜索だ。いましがた探索部が出動した。今夜中に意地でも見つけてもらう」
「探索部を急がせろ。放っておけば何をはじめるかわからぬ」
 届いてきた真力は、奇妙な感情を含んでいた。
「……はじめるってどっちがだ」
 試すように聞いてきた相手も、世話係が落とした過日のぼやきを思い出していることだろう。

(番は似ると言いますけど、あの二人はいやなところが似ていますね)

「無論」

(緊急時に想定外は歓迎できかねます)

「どちらも――だ」



「お待ちしておりました」
 目的の場所には、連絡どおり雛上がりの番が待機していた。
 黴と苔にまみれた円形の小部屋に、不似合いな井戸がある。煌々と光を発している井戸からは強く真力が香っており、自身が"真穴"であることを主張していた。
「ここか」
「……ええ。部隊長が発見しました」
 他のどの"真脈"とも交わりがなく、それでいて大地の奥深くまでもぐりこんでいるという。
「どちらかと言えば隠し通路の部類ですね。長いこと使った形跡がありませんので、あちらも認識していないのかと」
 ご覧くださいと示されたのは、苔をはいだ跡がある石版。
「生華時代の文字です。長々と刻まれていますけど簡単に訳せば、"もしも力を持たぬまま荒ぶるものを復活せしめたら、命のみを持ちて大地の果てまで逃げよ"です。脱出用の通路ですから、入口は"封印の間"の近くにあるはず」
 ただし、ここから先は一切の調査がされていない。
 無事の保障はできかねると言い、確かめるように目を覗いてきた。
「他に道はなかろう」
「行かれるのですね。……では、これをお持ちください」
 男から譲り受けたのは金で拵えられた指輪。
「追跡のための目印です。後発の部隊と一緒に、僕達も追いかけますので」
 この発言は意外なものだった。
「下りぬのか」
 二人の件は、ティートーンが手を回していた。男の知識と才能は解読部の中でも抜きん出ている。失うには惜しい人材ゆえ、番揃って聖都に避難させると聞き及んでいたが。
「ええ、僕も携わった研究です。遺跡の正体を見ずにいたら絶対に後悔します」
「そいつはいいのか」
 隣にいる娘は、合流した時から青ざめた顔をしている。
 ふと、その顔に見覚えがあるように思えて記憶を探った。こいつも誰かの血縁者だったろうか。
「彼女だけでもと思ったんですけど。どうしてもうんと言ってくれませんで……」
「当然よ! 天水がいないと大変なんだから。いままで何度、呪いを解いてあげたと思ってるのっ」
 娘の反発は、通路に大きく反響する。
 男が片耳を塞ぎながら「ほらね」と示し、ずれた眼鏡の位置を直した。

 どいつもこいつも、揃って強情な奴ばかりだ。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system