蒼天のかけら  幕間  真導士の捜索


真導士の捜索(4)


「サキ殿、めずらしいですね。出掛けて大丈夫なのですか?」

 ジェダスを筆頭に、揃っていた燠火の四人から口々に心配を頂いた。
 滑り込んできた傷薬達が、弱気な心にじんわりと沁みる。
「体調は戻りました。ローグは来ていませんでしたか? 今朝から姿が見えないのです」
「いいえ、今日は来ていませんよ。集まる話にもなっていませんので、ヤクス殿のところでは」
 ヤクスには道で会ったと伝えると、ジェダス達はおかしいなという顔をした。
「中央棟でしょうか」
「今日は、中央棟で行事がありますから正師達にも会えません。確か、見回り部隊の再編が終わったとかで、新部隊の任命式を行うそうです」
 これには肩を落とした。
 黒髪の相棒は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
「クルトのお見舞いに行きたいんだって。でも、ユーリが出掛けているから言伝も無理……。付き添いがいなくて困ってる」
 他の席に人がいるせいでさっきよりも小声になったティピアが、代わりに事情を説明してくれた。
 この際だからローグでなくてもいい。
 部屋から出てきてもらえれば居間で話ができる。長く起き上がれないようだったら、扉を開けてくれれば十分だ。
 最低でも謝罪だけは今日中にしておこう。

「僕が行きましょうか」
 手を上げたダリオに救いを見たのも束の間。他の三人がいきなりダリオを押し潰した。
「こ、こらー! 命知らずな真似はやめろ。いい加減に現実を見るんだっ」
「ダリオ。お前まだ茶を飲んでないじゃないか。奢ってやる、あと何杯でも奢ってやるから」
「そうっす。相談が終わっていないから抜けられても困るっす!」
 もがもがと苦しそうにしているダリオを、ティピアと二人で呆然と眺める。
「……すみませんね、サキ殿。今日は手一杯でして。そうだ、チャド殿のところにいるかもしれませんよ」
「チャドさん?」
「ええ。彼は読み書きも得意ですから、ローグレスト殿の書物を一部預かっています。一緒に解読をしている可能性がありますね。行ってみてはいかがでしょうか」
 そういえば、ローグも同じようなことを言っていた。
 ジェダスも読み書きができるけれど情報収集を優先させていて、本の解読まで手が回らない。チャドがきてくれたから最近は進みがいい、と。
 なるほど、確かに可能性がある。
 もがもがとしたままのダリオが不思議だったけれど、挨拶もそこそこにチャドの家へと向かうことにした。



 チャドの家は、倉庫の近くにある。
 倉庫付近は人の出入りも多く、見回りの高士もよく立っている。会釈をしながら前を通ったら、暑いからしっかり水をとるようにと指導された。今日は話しやすい高士が当番らしい。
 帰りに夏氷でももらおうかと相談していたら、後ろから元気な声がした。
「あ、ユーリだ」
 両手を振り応じているティピアの横で、さっと血の気が下がる。
「ティピアちゃーん、サキちゃーん」
 覚悟が決まらない内に彼女が駆けてきて、あっという間に追いつかれる。
「二人とも一緒にどこへ行くの」
「チャドの家に行こうと思って。意味なくなっちゃったけど」
「え、何で?」
「本当はクルトのお見舞い。ユーリがいないって聞いたから、一緒に行ってくれる男の人を探していたの」
 あと、ローグレストもとつけ加えてくれた。
 話を耳に流し、ぎくしゃくと身体を動かしてユーリの方を向く。
 彼女の顔に、先日の憂いは見当たらなかった。
 わずかに息が上がっている彼女は、そういうことかぁと笑い、偶然だねと続けた。
「わたしもチャド君の家に行くところだったの。昨日、お見舞いに来てくれたんだけどね、忘れ物していったから届けようと思って。それからね。チャド君はウサギを飼ってるんだって。この間、子ウサギも生まれたらしいよ」
 ユーリが提げている籠には、布で巻かれた何かといっぱいの緑――くぬぎの葉が大量に詰められていた。
 ウサギに食べさせる葉や草を集めていたのだそうな。
 子ウサギと聞いて、ティピアの目が輝く。
「抱っこできる……?」
「きっとさせてもらえるよ。ね、三人で行こうか」
 うんと言ったティピア。
 しかし自分の喉からは声が出せなかった。不思議そうな顔をした小さな友人が、どうしたのと聞いてくる。
「あの、ユーリ……」
 どう謝ればと真っ白に塗りたくられた思考の中で煩悶する。
 すると、目の前で桃色が弧を描いた。
 途端、脳裏で大きく硬質な音が響き渡っていった。
 二日の間に重ねられていたのは、泥でもレンガでもなく白楼岩だったのだ。その神聖な岩は自分達の間でそそり立ち、一歩たりとて踏み入れさせぬと語っている。
「サキちゃんも行くでしょ?」
 言葉を受け、松葉杖がへし折れた。
 至極あっさりと。それこそぽっきりと。

 真力が高い彼女達。
 矮小な自分はただ二人の期待と興奮に巻きこまれるのみ。わいわいと話している二人の後ろ側、松葉杖を失った足でとぼとぼと行く。
 本日は晴天。
 ……母なる女神はすべてご覧になっている。



 多くの家が並ぶ倉庫付近。利便性がいいところが人気の秘密だ。
 しかし、チャドの家は一目でわかった。彼は三人番だから、家が自分達のものよりも大きな造りとなっている。
 華やかな声が、静かな道に咲き連なる。
 だからだろう。
 訪問するよりも早く、チャドがこちらに気がついた。自室の窓から身を乗り出して挨拶してきた彼に、三人して手を振る。

 さくさくと緑を踏んで歩き、窓越しにもう一度挨拶をする。
 チャドは窓際で書き物をしていたようで、二冊の手帳が並べられている。片方が水を含んでよれているのが気になった。
「三人してどうしたの?」
 えへへと笑ったユーリが忘れ物を渡し、実はねと切り出した。
「ウサギを見にきたの。あ、でもサキちゃんは人探しなんだ」
 ね、と振られて内心で汗をかく。
「あの、ローグはきていませんでしたか?」
 日に慣れたせいか、室内が暗くて見えづらい。
 それでも彼がいないのはわかった。気配がしないし、チャド以外に人影もない。
「きていないよ。皆のところにいなかった?」
 すれ違った可能性を訊ねてみたところ、残念なことに首を振られた。
「そうでしたか……」
「急ぎの用事でもあるの。一緒に探そうか」
 今日は、友人達に心配ばかりかけてしまっている。
 申し訳なくもありがたい。
「いいえ、姿が見えないので心配なだけです。……手帳、どうしてしまったのですか」
 言われて眉を下げたチャドは、濡らしてしまっただろう手帳を伸ばすように押さえた。
「日記だよ。昔から読み書きの練習用に付けていたんだ。ローグレストに頼まれて、必要な箇所だけ抜き出そうとしたんだけど。お茶をこぼしてしまって……」
 全部書き直しているところなのだとか。
 チャドは、いままであった出来事を時系列で並べなおしているらしい。そんなことをしていたなんて一言も教えてくれなかった。
 以前よりも男女の壁が分厚くなってはいまいか。もやもやとしたものが胸にわだかまる。
「あの、ウサギ……」
 訴えるように見上げられて、チャドが慌てて家の外を指差した。
「ご、ごめん。裏にまわってくれるかな。そっちに小屋があるから。僕もすぐに行くよ」
 待ってるねーと明るく返したユーリ。彼女よりも早く、弾むような足取りのティピアが裏へと向かう。
 思いがけず二人きりになった。

 ……いまだ。
 いましかない。

 気分は銀縁の恋に悩める主人公。秘めていた想いを伝える時は、こういう気持ちになるはずだ。
 白楼岩の壁は、相変わらずの様子でそそり立っている。踏み込むのは困難。だとしても、乗り越えて行かねばならない。
 口を強く引き結び、籠を持つ手を意識して震えを潜ませ――さあ。

「サキちゃん」

 甲高い「はい」が飛び出た。
 ひっくり返った声を合図に、我慢していた汗が背中に散る。「い」を出した時に、舌を噛んでしまったので涙も出た。
「行こうよ」
 微笑む彼女は、背中と同じように汗を出している左手を攫う。
 待って、少しだけ時間をと思っていても、口にしなければ伝わらない。なのに、血の味がする舌はあっさり仕事を放棄した。
 近頃は虐待が過ぎるのだと文句を言っているようだ。

 攫われるままの左手に付随した身体は、ティピアが待つウサギ小屋へと向かう。

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