蒼天のかけら  第一章  静白の門


森の再会


 燃える。
 すべてが燃える。

 逃げないと。

 …………っぃ!
 ……か……り!


 声がする。

 誰。

 あなたは誰?

 追いかけてきたの、それとも……。


「おい!」
 意識が覚醒した。
 視界が一気に広がり、隠れていた音が戻ってくる。
 まず目に入ってきたのは、生い茂る葉の隙間からわずかにこぼれる日の光。
 眩しくて緩慢に瞬く。
 瞬きを幾度か繰り返していたら、視野が明瞭になってきた。
 鼻腔を濡れた土独特の匂いがくすぐる。頬が、水気を含んだ重たい風の感触に触れた。

 そして、男と目が合う。

 最初、自分が何を見ているのかわからなかった。
 ぱちりぱちりと二度瞬いて視野を広げ、男ともう一度目を合わせた。そして、頭が真っ白になるとは、こういうことなのだと思い知る。
 心配そうに覗き込んできているのは、あの黒髪の男であった。

「気分はどうだ?」
 彼が問いかけてくる。
 驚きのあまり、声を出せなくなっているのを、ひどく状態が悪いと勘違いしたらしい。彼は焦りを浮かべながら、左腕を首の下に通してきた。しっかりとした左腕で首を支え、右手は具合を確かめるように頭のさする。
「頭を打ったのか?」
 だが、確かめようとしたサキの頭には、黒の帽子が被さっている。彼は男であったため、女の帽子を無断で取ることはできない。あまりにも破廉恥で無礼な行為とみなされる事柄ゆえ、さすがに躊躇したようだ。

 見ず知らずの男に、頭を撫でまわされている。

 そう自覚した途端、引いていたはずの血が、頭の天辺まで一気に逆流してきた。
「……っ!」
 声にならない悲鳴を上げながら、撫でまわしている手を止めるべく、両手をでたらめに振る。しかし男は、突然暴れだした自分を見て、錯乱していると勘違いを重ねたらしい。
「しっかりしろ!」
 暴れるサキの両腕を、器用にも右手だけでまとめて捕える。
「……落ちついてくれ。自分の名前、わかるか?」
 言って、端整な顔を近づけてくる。
 本人は深い意味を抱いていないのだろう。正気か否か確かめたいだけに違いない。
 でも、あまりにも整い過ぎた顔が近くにあるのだ。
 目を逸らそうにも、視野が狭くて視線が移動してくれない。どうにか苦心して、彼の額に飾られている丸い銅貨のような額飾りに目をやった。だがそこも落ち着かなくて目を泳がせていたら、またも吸い込まれそうな黒に辿りついて、ついに時を止めた。
 真っ直ぐな深い黒に、再び射止められてしまった。いたたまれない気持ちと熱が、体の内側からあふれてくる。
 もう視線を動かせない。

「俺はローグレストと言う。お前の名は?」
 喉から声を出そうとして一度飲み込み。こわごわ声を絞りを出した。
 虫の鳴く声より小さく。樹木のざわめきに埋もれるほど細やかに……サキ、と。
 名前と一緒に、無残な涙がぽろぽろとこぼれ落ちていった。自分が何故泣いているのかわからないまま、捕えられた腕から伝わる温もりを肌で感じ取る。
 あたたかさが沁みて、痛い。
 ローグレストと名乗った男は、わずかに逡巡した後。泣き出した自分の頬に、腕から離した右手をそっと添えた。

「もう、大丈夫だ」

 こくりと肯いた拍子に、大粒の涙が一つ、森へと吸い込まれていった。

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