蒼天のかけら  第三章  咎の果実


町へ


 今回の目的地は、聖都ダールの隣にあるベロマの町だと聞かされた。
 聖都ダールの商品棚とも呼ばれるその町は。ダールの商店に並ぶ、様々な品の保管場所になっているそうだ。
 一番多いのが布。
 ダールの倉庫は貸値が高く、利益を削らねばならない。しかし、ベロマはダールにほど近く、道も整備されていて馬車を走らせやすい。かつ、倉庫は貸値が安い。その上、長く借りれば借りるほど信用が積り、さらに安くなる。
 こういった諸々の理由で、保存が効く品はベロマに集まることが多いらしい。
 ……逆に生もの。
 特に青果は絶対に預からない。かつて、青果が原因で忌事が起こり、死人が続出したためだという。確かな記録はないので、食中毒ではないかと噂されているらしい。縁起を大事にする商人達の間では、この町に青果を通さない風習がある。
 以上はすべて、ローグの受け売りだ。
 やはり商いの話になると、他のどの話題よりも説明が詳細になる。彼は根っからの商人である。

 馬車の中では、他の導士達も好き勝手に会話をしていたのだが。ローグの話がはじまると声が密やかになった。
 明らかに会話を聞かれている。
 興味のある話というよりも、あまり人前に姿を現さず、仮に現したとしてもめったに口を開かないローグに興味があるのだ。本人は鬱陶しいと思っていても、首席殿と呼ばれるほどの真力と、その容貌では無理もない。
 ローグも注目を浴びているとわかっているのだろうが、頑なにそちらを向こうとしない。その胆力もすごいものだ。
 導士達が自分の相棒に向けた、不愉快な視線を敏感に感じ取ったということだろう。覇権がどうとか、人の優劣がどうという話題は、彼が持つカルデスの気風には合わない。
 くすりと笑いが漏れる。
 心持ち一つで、見える世界がこんなにも違う。
 自分が彼の迷惑だなんてとんでもない話だ。彼は、彼の信条を守るために戦っているだけ。ならば相棒として、それを一緒に守るべきだったのだ。
「どうした?」
 漏れた笑いの意味は、あまりにも流れに沿わないもの。だから不審に思われてしまった。
 心配そうな彼に、何でもないと首を振る。

「いや、素晴らしい知見ですね」
 割り入ってきた声の方へと、二人して顔を向ける。
 ローグの向かい。自分の目の前にある荷物に、寄りかかりながら座っている一人の導士が声を掛けてきた。声で男であることはわかる。しかし、フードを被っているので髪色も瞳の色も、影になってしまい一切わからない。
 人相を伝える時は、髪と目の色を伝えるのが基本。それが、フードを被っただけでここまで困難になるのか。この上に真術をかけられたら、確かにどのような人物かなど思い出せないだろう。
 覗いている表情は笑顔。しかしなんというか……、あの本のご指導に沿って言ってしまうと、どうにも胡散臭い笑顔である。
「さすがは首席殿です」
 明らかなおべっかだ。ローグの表情は相変わらず無関心だが、胸の内は聞かずともわかる。
「……たまたま知っているだけだ」
「謙遜せずとも。今日の実習でご一緒できてよかった。貴方もいますしイクサ殿もいる。大船に乗った気持ちですよ」
 ふっ、とローグが笑った。
 見ようによっては貴公子と見えなくもないけれど、自分には悪徳商人の黒い笑いとしか思えない。
 ベロマに海が無くて本当によかった。
 冷えを感じて、そろそろと馬車の隅で足を抱えて小さくなる。

「オレの真力は三つ半だ。ローグレストには遠く及ばない。比較しては失礼というものだと、そう思うけれどね」
 前方のイクサが話に加わった。これは、あまりいい流れとは言えないような……。もしかしたら彼と自分は、座る位置が逆だったのではないか。
 作戦失敗という言葉が脳裏に浮かぶ。
「イクサ殿は四つ目に近かったと聞きましたよ。十分というものでしょう」
 あっちにおべっか、こっちにおべっかで、まったく忙しい人だ。
 疲れてしまわないだろうか。
 この人の話と、しっかりと耳を立てて聞いている周りの導士達の肯き。それだけで、同期ともいえる彼等の雰囲気が伝わってくる。
 ローグとイクサは、かなり周囲の期待が厚いようだ。ローグの場合、その巨大な真力がすべてだろう。片やイクサは、真力と彼に対する信頼が加わっていると感じ取れた。
 "迷いの森"で、若者達をまとめていた姿を思い起こす。初対面時の対応と、彼の柔和な性格を鑑みれば、その信頼は一月で揺るぎないものになったのだろう。ローグへの褒め言葉よりも。イクサを褒めた時に肯いた導士の方が多かった。

「でも、最終的には相棒との相性でしょ?」
 ディアまで話に加わってきた。馬車内の気配が急速に悪化する。寒い上に、頭が痛いように感じる。ぶり返してしまっただろうか。
「真導士として大成するなら一人だけじゃ駄目でしょ。二人での真力をちゃんと見ないと。どんなに飛び抜けた力を有していても、相棒の低い真力に足を引っ張られることだってあるわよ」
 ついにこちらまで飛び火してきた。周囲から忍び笑いが漏れる。いやな予感はしていたけれど、どうやって場を治めたらいいのか見当もつかない。
 ローグが息を吸い込んだ。何か強い言葉を吐き出そうとした彼の動きを察知して、咄嗟に手を握る。自分から意志を持って彼に触れたことはない。女から男の身体に触れるなど、とてもはしたないことだと自覚はある。

 それでも、彼にそうして欲しくなかった。

 自分の矜持を守ることが、彼の矜持を守ることに繋がるなら。自分もちゃんと戦う必要がある。
「真導士は真力だけで、すべてが決まるわけではないと思います」
 これは――宣戦布告。
「真力の量だけが重要なら、二人にせず隊を組めばいいはずです」
 ディアへの、近視的な導士達への、そして過去のいじけた自分への反撃の狼煙だ。
「"落ちこぼれ"に、そんな生意気なこと言われなくないわ!」
 ディアから激しい怒りが噴出した。イクサが肩を抑えて落ち着かせようとしている。
 冷たい大気が、幌の隙間から流れ込んでくる。耳がきんと冷えて頭痛を加速させた。彼の骨ばった手を握る力を強める。ほとんど無意識で空いている右手を耳に当てた。――この、感覚。
 遠くから風に乗って甲高い音が吹きつけてきている。
「サキ」
 ローグが自分の緊張に気づく。
「ローグさん……、雲行きが変です」
 まだそこまで近くないけれど、確実に広がる鈍色の何か。
 怖いとは思えない。されど気持ちが落ち着かない。暴力的なものではないのに、沼地のように冷たく広がっている影。

 はっきりとしたことは何一つわからない影の気配。しかも自分の言葉だ。他の導士達に伝えても聞き入れてはもらえまい。反発して、わざわざ影に近づかれても……危ないように思う。
 仕方なく。ローグにだけ小声で伝える。
 彼は無言だった。しかし、左手の人差指を口に当てた。周囲から見ればこれ以上反論するな、という指示に見えただろう。イクサのおかげでディアも口を噤んでいる。相棒であるローグが、自分に対して行った動作は不自然なことではない。
 こくりと一つ肯いて、手を離した。

 馬車内の視線はよりいっそう不愉快なものになった。それを意識から強制的に排除して、影を追う。
 ベロマの町に着いても影の形は判然とせず。とうとう大きく口の開いた倉庫へと、足を踏み入れることになった。

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