蒼天のかけら  第三章  咎の果実


岩の牢獄


 自分達を覆う、白い膜。

 あまりにも薄く、頼りない奇跡は、それでも二人の命をやわやわと囲んでいる。
「……きどの。首席殿! 聞こえますか!?」
 塞がれた岩の向こうから、必死に問いかけているジェダスの声が響いてきた。その合間に聞こえる細い声は、ティピアであろうか。はっきりとは聞こえないが、彼女も無事であるらしい。
「ああ、聞こえている。……ぎりぎりだが、二人とも無事だ」
 彼の張り上げた声は、岩に吸い込まれながらもジェダス達に届いたようだ。
「これから岩をどかしていきます。少しだけご辛抱を」
「いや、やめた方がいい。土砂で埋まってしまっている。下手に触ると通路に流れていくぞ」
 こんな時まで平静なローグ。そんな彼に対して、ジェダスが慌てて言い募る。
「しかし、それでは貴方達が……!」
「駄目だ。触らないでくれ」
 そう言って、ローグが自分を見た。彼の言いたいことは、何となくわかった。ローグはまだ諦めていない。ならば自分も諦めるわけにはいかない。
 全員でサガノトスに帰るのだ。
 危険を冒して、可能性の道を消してはならない。
「大丈夫。まだ待てます……」
 出した答えに、ローグが大きく肯いた。
「俺達はここでなんとか堪えてみる。皆で最初の場所に戻ってくれないか」
「そんなっ。そんなこと、できません!」
「行け。あの場所に戻って、正師が来たら急いで連れてこい。それまでは踏ん張ってみせる。だから絶対に助けに戻ってきてくれ」
 沈黙、そして――。
「……わかりました。必ず戻ります、どうぞご無事で」
「頼む」
 岩の向こうでざわめきが聞こえ。少し時間をおいてから消えてなくなった。

 無音の世界。

 小さな輝尚石が支えるこの世界に、ローグと二人きり。岩の牢獄の中、狭い空間で身を寄せ合って命を支え合う。
「ローグさん、真力を抑えてください。いまなら"守護の陣"がありますから、声も聞こえません」
「大丈夫か?」
 心配そうな彼に、精一杯の笑顔を返した。
「はい。それにローグさんが枯渇したら大変です。わたしでは男の人を担げませんから」
「確かに……。サキでは無理だな」
 喉で笑ってから、彼が真眼を閉じる。周囲を覆っていたぬくもりを失い、冷えが下方から忍びこんできた。
 ローグが深呼吸を繰り返していく。大気を吸い込むたび。否応なく触れている彼の胸が、大きく上下しているのがわかる。
 耳が焼けるような熱を生んだ。
(こんな、時に……)
 羞恥を感じる。岩の雨から守られていた姿勢のまま、密着して座り込んでいるのだ。自分が籠めた"守護の陣"は、以前よりも大きくはなった。それでも二人分の身体より、わずかに広いだけ。
 離れて座ることなど無理だから、この状態は仕方のないことなのだが……。
 近過ぎる距離。いつもならわかりもしない呼吸のすべてが、感じ取れるほど近いこの位置。踊っている心音が彼の耳に届いていると、そういう錯覚に襲われる。
 するりと額に手が当てられた。
 彼の胸に置いていた手を無意識に握り込み、ローブに皺を刻む。
「ぶり返したか」
 遠まわしに顔が赤いことを指摘された。とても目を合わせられない。くつくつと笑う彼の喉。手を伝ってくる低い響きに羞恥が増していく。
「からかわないでください……」
 こんなところで、いたずら小僧が顔を出す。
「からかってなどいない」
「……嘘です」
 これ以上、心を乱さないで欲しい。心音とともに寂しさを主張する場所が、膨れ上がってきている。
 こうなったら反撃だ。反撃をしなければ。どうもローグと一緒にいたせいで、負けず嫌いが移ってしまったらしい。

「ローグさん、どうしてイクサさんのことが嫌いなのですか?」
 彼の身体が、固く緊張した。
 ちまちまとした攻撃は、彼には通じない。だから一撃で決めないと。
「……嫌ってなどいない。気に食わないだけだ」
 それは同じことでは?
「いい人だと、思うのですが」
 そう言っただけで、ローグは盛大に顔をしかめた。反発を示した彼の様子に息を吐く。
「人望もありますし、丁寧な人です。どこがそんなに気に食わないのですか」
 しかめっ面のまま睨んできたので、負けじと睨み返す。少年のような表情を見せるローグには、羞恥を感じないし、気負いもしない。
 じっと黒の瞳を見据える。
「サキは、わかっていない」
 何だそれは。ちゃんと素直に話さないローグが悪いのに。修業をしようと言いだしたのは自分だろうに。すっかり忘れてはいまいか。
「理由になっていませんよ」
 どちらも折れることはなく、しばらく睨み合いをしていたら、彼の手が頬に触れてきた。左頬を撫でるその手に、またも羞恥が出そうになった。しかし、睨むことだけはやめない。
 ここまでくれば意地がすべてだ。
 誤魔化せると思っていたのか。彼は不思議そうに小首を傾げた。
「慣れてきたのか」
 つまらんと言っているような口ぶりに、黒い思惑が透けて見えた。
 もう、その手には乗りませんからと、胸中でつぶやく。
 考え方は子供と同じだ。彼が自分をからかっているのは、反応が楽しいからだ。反応が返らなければ、こういういたずらも減っていくだろう。

「あの男が悪い」
 誤魔化せないと悟ったらしい。ようやく口に出した本心を、睨みながら聞く。
「隠している人の畑を、わざわざ見つけに来なくてもいいだろう」
 あまりに意味不明な彼の本心。理解できずに、今度は自分が小首を傾げるはめとなる。
「ツルを持つ植物がある」
 今度はいったい何を言い出したのか。時に彼の知識は、真実を覆い隠してしまう。
「高く伸びて日の光を浴びようとする。その方が育つのも早くなるからな。そういう植物をしっかり育てるつもりなら、近くに添え木を差して成長を見守ればいい」
「ローグさん?」
「だが時折、用意した添え木以外に絡みつくツルもある。気まぐれか、育つ勢いがよかったのか、それとも……誰かがわざと近くに、違う添え木を差したか。迷惑な話だが、そんなこともある」
 先の読めない話を続けながら左頬を撫でていた手が、ぎゅっと頬をつまんできた。
 ちょっと、痛い……。
「昨日といい、今日といい。急に気が強くなったな、サキ」
 小さいながらも抗議をされているような気がして、ますます話がわからなくなる。
「勢いがつくのはいいが、気が気ではない。急いで育って間違えられたら堪らない」
 ため息を一つ。そして白い膜に覆われている天を仰いだ。
「頼りない添え木のつもりはないが……。伸び方が奔放過ぎて、先が読めないのは困りものだな」

 いったいイクサの何が、ローグをそこまで刺激したのか。
 その理由がさっぱりわからないまま、話は唐突に終わってしまった。

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