蒼天のかけら  第四章  罪業の糸


片生の魔導士


 人気のない町を、物陰に隠れながら進む。

 進みながら、気配を捉える。見つけるたび、その一つ一つをバトに報告していく。
 あらわれては消える、小さな気配達。二人の進みに合わせて数を増していく。最初、一つだけであった白の光は、十を超えるようになってきていた。
「……もう一つ増えました。あちらの方向です」
 指差した方向を確認して、冷やかな声で言う。
「数を出してきたか。小者を揃えて何をしようとしているのだか」
「あの、聞いてもいいですか?」
「無駄口でなければな」
「この気配は真導士なのでしょうか。小さ過ぎて確証が持てません」
 青銀が横目で顔を見た。
「真導士の基準が、"真導士の里の"とつくのならば違う」
 無駄口とは思われなかったようだ。
 現況をとっくに把握しているらしい高士は、質問に答えながらも周りを注視し。適切な場所へ移動していく。そうして何事かを確認してから、手の動きで自分を呼び、合流を促す。その動きは間諜のように滑らかだ。
「今回の一件は、前々から俺が追っていた"抜け鼠"の仕業と踏んでいる」
 "抜け鼠"――"出奔者"のことだろうか。
「逃げ足が早く、なかなか尻尾を見せぬ。しかし定期的に術具を狙って顔を出してくる。時期が決まっているゆえ、里から出荷する術具に罠を張っておいた」
 言いながら、また次の物陰に走って行く。素早い動きは、男の蓄積された経験を物語る。呼び寄せる合図を見て、自分もなるべく静かに移動する。
「盗まれた術具は、おとりだったのですね」
「まあな。……呆けた顔して意外と飲み込みは悪くない」
 褒めているのだろうか。
 貶されているようにしか聞こえないが、苛立たれるよりはましだ。黙って続きを待つ。
「あらわれる時期は、年にちょうど三回。いまと聖華祭の時期、そして収穫祭の時期。何を意味しているかわかるか」
 わからなかったので首を振る。
「税を納める時期だ。"抜け鼠"は、必ず税を納める直前にその姿をあらわす。そして……」
 バトは右手で拳を作り、甲で建物の壁を二度叩いた。
「"抜け鼠"が出た後、何故かこの町が活気づく。しかも評判の悪い行商の馬車が、遠くから足を運んでくる。疑えと言っているようなものだ」
「じゃあ、この町は……」
「町に見せかけた闇市。町長も住民も結託して、盗品の売買をしているはずだ。"抜け鼠"は調達屋だろう」
 だから張りぼてと言ったのか。
 ずっと抱えていた違和感の正体が、徐々に明らかとなっていく。

 ――でも。

「こんなに……"出奔者"がいるのですか?」
 増え続ける人の気配。
 小さな気配であっても、明らかに真眼を開いている彼らの数は、真導士の人数として考えればとても多い。今年、サガノトスに入った真導士は五十程度。これで例年より多い方なのだと聞いた。
 稀有な存在であるはずの真導士。その真導士が十人も出奔しているとなれば、かなりの大事だと容易に想像ができた。
「いや」
 凍えた声が一層厳しさを増していく。冴えた輝きを孕んでいる目が、鋭く眇められた。日が高い時間であるというのに、周囲は冬のように寒い。
 身体が感知するぬくもりよりも、真眼が感知している男の気配が強いせいだろう。ぬくもりを逃すまいと、両腕で自分を抱き込んだ。
「こいつらは"出奔者"ではない。調達屋をやっている"抜け鼠"だけが"出奔者"だ。……"抜け鼠"が厄介なのは、こういうことを平気でやるからだ。面倒な火種をところ構わず撒いていく。とっとと捕まえねば、内乱すら起こりかねん」
 声と同じように厳しくなっていく表情。その精悍な横顔を見つめながら、唾を飲み込んだ。

 動く。
 あちらの白が動き出した。ここまで近い距離ならば、もうバトにも感じられているだろう。

「術具の気配は、まだ見えぬか」
 耳鳴りがした。遠くからやってきて、高く鳴り響く危機の兆候。ああ、ついに来てしまった。
「見えません。……何かが来ます。悪意が、近づいてくる」
「犬のような嗅覚だ。それでわからぬなら隠してあるということか。"隠匿の陣"は読めぬのだろう」
「……遠くからでは。近くまで行けばわかります」
 バトが呼吸を整えた。
 冷たい指先を握って、その時を待つ。
「……よく見ておくのだな。現実を知れば、里に残りたいと思えぬようになる。お前にとってその方がいい」
 驚いてバトに視線を投げた。この男はどうしても自分を追い出したいようだ。
 変化したのは垣間見せる感情だけ。激情が薄れて、自分に対する危惧の気配がわずかに浮かぶ。前方を見据えているバトの瞳に、柔い幻への追憶が小さく光った。
「火種とは何ですか?」
 もしかしたら、働きは無駄になるかもしれない。この男が報告をするのだ。"役立たず"であったと言えば、自分はあっさりと追放されてしまう。
「……まったくどのような神経している。追放されたくないのではなかったか」
 もちろんだ。
 ちっぽけな自分が手に入れた大切な記憶を、根こそぎ奪われてしまうのだ。想像しただけで生きた心地がしないし、できるならば泣き叫びたい。それだけは許して欲しいと。あの人の記憶だけは残してくださいと、乞い願いたい。
 しかし、それで道が開かれることはないだろう。受けている天罰が。、身に余る僥倖からきているならば、少しでも相応しくなるように努力するべきだ。
 そうするしか……女神に許しを乞えないのだから。

 バトが白を描き出す。
 二人が入るだけの小さな円。けれど描かれる早さは、導士のそれとは比べ物にならない。
 会話を続けながらも、さらりと描かれた輝く真円。
 その円を、固唾を飲んで見つめる。
「真導士は一定の真力を持つ者がなる。しかし真力がなくとも真眼は開ける。……知っていたか」
「……はい」
 真円に夜色の真力が注がれ、すぐさま展開を開始した。
 手際の鮮やかさに見蕩れてしまう。バトは位こそ高士だが、かなり腕のいい真導士なのではないか。
「なれば話が早い。これから飛んだ先に実物がいる。導士の任務とは内容が違うゆえ、お前は余計な手出しをするな。ここから先で命の保証はできぬ。死んでから、追放されておけばと後悔しても遅い」
 転送の気配。
 白く輝く光の帯が、二人を包み込む。耳鳴りが強くなり、こめかみをぎりぎりと絞り上げていく。

 飛んだ先は、レンガ造りの建物の中だった。
 日差しを取り入れている屋内に、獣の匂いが残っている。だだっ広いその場には、積まれた荷箱と、無造作に置かれている飼い葉と――複数の真眼を開いた男達。
「来やがったぞ、真導士だ!」
 目つきの悪い男達の中、一人だけ荷箱の上に立っていた者が声を張り上げた。
 その声を皮切りに、全員が真円を描き出す。不格好とも言える円に、あまりに少ない真力が注がれていく。
「"鼠"はいないか……。置き土産をしていくとは何とも気が利く」
 バトは、二十近い数の真円に、気を引かれることもなくぼやいた。余裕を持った背中を、茫然と見つめることしかできない。
「見ろ、これが火種だ。真導士の里が苦心して保っている中立を、"鼠"は容赦なく食い破る。知恵も知識も才能もない連中に力だけ与え、戦力の均衡を勝手に崩す。奴らは己の欲のためなら何でもする」
 冷たい真力が、解放される。
 隣に立っているのも辛く感じた。潤沢な真力の気配が、すべてを凍えさせながら身体を圧し潰してくる。
「こいつらは"片生の魔導士"。"鼠"の変種だ。――どうしても辛いなら目を閉じ、耳を塞いでいろ。本来なら、お前のような娘が見るべき光景ではない」
 言うが早いか真円を描いた。
 瞬きをする間もなく描かれたそれは、冴えた光の刃を生み出し、男達を目がけて飛んで行く。

 そして、自分の膝が折れたのを知った。

 複数の絶叫が、レンガ造りの屋内に反響し、轟いていく。
 閉じることを忘れた目に、赤く濡れた光景が映し出される。飛び散る赤と切れた肉片。つい、いましがたまで人であったはずの形は、削り取られて散り散りになり、ごろりと転がされている。
 胃からこみ上げてくる何かを、残された意志の力で抑えつけた。酔えた味が口の中に広がっていくのを感じたが、目の前の赤から視線を外せない。

 迷いもなく男達を刻んだ青銀の真導士は、血の海の中、ゆっくりと足を進めていく。
「半端者が、俺とやり合えると思ったか」
 冷酷な声音と、場を凍りつかせていく真力の闇。耳の奥で、どくりどくりと音を立てて流れる血潮の激流。耳鳴りすらも潰してしまった音を、ひたすらに受け入れているだけの自分が、どこか遠い。
 氷の刃が言葉となる。
「"第三の地 サガノトス"の名において、お前達を裁きにきた。パルシュナへの祈りはもはや許さぬ。身を地に落とし、罪を償うがいい」

 死の宣告が、真力の闇の中でこだまする。
 闇色の裁定者が降臨した救いのない世界を、開かれたままの目で見つめていることしかできなかった。

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