蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


姿が見えぬ害意


 サガノトスに、"闇の鐘"が鳴り響く。
 道に見回りの高士が姿を見せた。高士の動きに合わせ、四人が家路を急ぐ。

 ヤクスだけ今日は泊まりだ。
 知らぬ間に、ローグと話がついていたらしい。
 いくら男性主導が一般的と言っても、前もっての相談くらいはして欲しいと少し拗ねている。
 自分達は番なのだ。独断専行はよ良くない。
 今夜も聖都ダール風が食べたいのかと問えば、平に陳謝された。反省の証として彼の腕には、自分が造った組み紐の術具が巻かれている。クルトと一緒になって渋っていたけれど、胸やけの恐怖には勝てなかったようだ。
 肩をすぼめながら腕飾りをつけているローグを見て、ヤクスは盛大に笑った。
「サキちゃんは、猛獣使いだね」
 また一つ、うれしくない例えが増えた。動物からは外れてくれたが、年頃の娘としては複雑である。

 斜めになった機嫌をぶら下げながら、夕食を拵える。
 居間の方では、ローグとヤクスの会話が続いている。前もっての相談はなかったが、ヤクスだけ泊ってもらった理由は、すぐにわかった。
「じゃあ、あれが"森の真導士"だったのか……」
「ああ、奴の真力は間違えようがない。相変わらず胸が悪くなるような気配だった」
 実習での話は、忘れたことになっている。
 かと言って、森の真導士の話を黙ってはいられない。二人はぎりぎりの線を辿りながら、核心にあたる部分を避けて会話を続けている。……聞いているこっちの方が疲れてしまう。
「"森の真導士"、ギャスパル、"隠匿の陣"が籠められた色紐。全部で三つ……。まずいな、追いかける要件が増え過ぎだ。四人じゃ手が回らない」
「それでもやるしかない。一気にやろうとしないで切り分ければいい。"森の真導士"には手を打てないのだから、警戒しかできないしな。修業は怠らない、まずはこれが第一だ。ギャスパル達の件はいままで通りでいい。見回りも強化されてきているから、人気がある場所を選べば乱闘になることもあるまい」
「お嬢さん方はどうする 今日来たってことは、またくるに決まってる」
「俺を訪ねてきたらしいからな。明日から集まる家を移動しよう。クルトの家もまずいから、ジェダスの家にするか。俺達の修業場も、ジェダスの家から一番近い場所に移そう」

 二人の会話を耳に入れながら、懐かしい気分を味わっていた。
 ローグがここまで能動的になったのは、"迷いの森"以来である。
「……それがいい。学舎で会った時にでも伝えよう。――なあ、ローグ。急にどうしたんだ」
 長身の友人も、同じ疑問を抱えていたのか、会話の隙を見て質問をした。
「どうした、とは?」
 声だけで彼がどのような表情をしているのか、想像がついてしまう。
 いまは眉をひそめていることだろう。
「お前が、そこまで主導を取るようになったのが意外だと思って。何か心境の変化でもあったのか」
 鍋をかき混ぜながら耳をそばだてた。
 ……気になる。いったい何がきっかけで、彼がここまで変わったのだろうか。
「特に、何も」
「嘘つけ」
 そうだ、そうだ。嘘はよくない。
 悪徳商人殿は、嘘を隠すのが実に上手い。だが今回ばかりは嘘がばればれだ。
 ヤクスに加勢しようと、輝尚石を弱火にしてから居間へ向かう。ひょこと顔を出したところで、黒の瞳と視線が交わった。
 味方が増えたと知ったヤクスが、目だけでにっと笑う。
 二対一だ。
 絶対に口を割らせてみせよう。
「準備できたのか」
「ええ、少し煮込めば完成です」
 追い払おうとしたって、そうはいかない。そろそろと歩きローグの隣に腰を下ろす。
 半分だけ開いている真眼から、真力のゆれが伝わってくる。波の気配は穏やかながら、少し忙しなく行き来している。
「サキちゃんの前で、格好つけようってわけでもないよな」
 ヤクスは、わかりやすい罠を張ることにしたらしい。食いつくとは思えないけれど、羞恥を抑えつつ状況を見守る。
「いまさらだろう」
 思った通り、簡単にあしらわれた。
 ううむ……と考えてから、油断をさせようと話をずらすことにした。
「でも、ローグが修業すると言い出して、本当にびっくりしました。修業の方は順調なのですか?」
「まあな。輝尚石の火炎流は作れるようになった」
 それはすごい。
 自力で多重真円を描くより確かに難易度は下がる。そうだとしても導士としては十分だろう。
 彼の物覚えのよさには感服してしまう。
「いままで怠けていたのに、修業はじめたらこれだもんな。女神はローグを贔屓し過ぎだ。真力でも何でもいいから、どこか一か所分けてくれ」
 これは作戦ではなさそうだ。ヤクスが言いたくなる気持ちも良くわかる。
 気の抜けた軽口。いつもの如く悪徳な笑みを作ると思っていたのに、ローグは何故か顔をしかめた。
「ローグ?」
 機嫌を悪くするような話とも思えず。ヤクスも戸惑いを浮かべている。
「全然駄目だ。これではちっとも対抗できない」
 対抗? "森の真導士"にだろうか。
 さすがにそれは無茶だ。あれだけの爆発を引き起こせるような真導士に、自分一人で対抗しようなど。まさかまた、自分を安全な場所において、ローグだけで戦おうとしているのか。そうならば許せない。
 共にと誓い合ったばかりなのに。
「まずは、多重真円を自力で描けねば話にならん。後は速度だ。先手を取れなければ勝機は見えてこない」
 ずいぶんと具体的な話になってきた。
 "森の真導士"を相手取るなら、多重真円は必須となる。しかし、速度の話はどこから出てきたのか。もちろん先手も取れた方がいいけれど、ローグには爆発の展開が見えていたのだろうか。
 黒の瞳が天井を見上げた。さらりと鮮やかな黒髪がゆれる。
 見惚れてしまいそうだったが、友人の目の前で間抜けな顔をさらしてはまずい。彼が言葉を続けるまで、身動きせずに待つ。
「真導士は階級がすべてだと思っていたが、実力次第ではねじ伏せられるようだからな。導士だからと諦念しなくともいい」
 話が見えなくなってしまった。"森の真導士"に階級がどう繋がるのか。もうさっぱりわからない。
 相棒の横顔を困惑しながら見つめていれば、ヤクスの方から忍び笑いが響いてきた。
「……まさかと思ったけど、それで一念発起したのか」
 天井を見上げていた黒が、向かいの友人を睨んだ。ヤクスには、彼が変化した理由がわかったらしい。
「そうと決まったわけじゃない。早とちりかもよ?」
「もしもの備えだ」
「だとしても無謀だ」
「……いまの状態ではそうかもしれん。多重真円さえ描ければ、最低でも迎え撃てるくらいにはなれるだろう。真力は俺の方が高い」
 右手で目を覆って笑い続ける友人と、睨みながら反論している彼の会話について行けない。
 二人の間で視線をうろうろとさせていたら、紫紺の瞳がこちらを見た。
「これから大変だよ。サキちゃん」
「何がでしょうか……」
 わかったのなら教えてくれてもと思う。共同戦線ならば、裏切りは無しだ。
「男の悋気はタチが悪いって言うからね」
 悋気? ローグが"森の真導士"を相手に、焼きもちを焼いていると……何でまた?
「サキ」
 低い声が自分を呼ぶ。
 声の中に、まずい何かが混ざっている気配がして、背筋が伸びた。
「は、はい……」
 黒の眼差しが、縫い止めるような力を持って、こちらを見据えている。
 ローグの右手が伸びてきて、喉元を指先で撫でた。人前で肌に触れるとは何と破廉恥なと、大声を出しかけたのだけれど。黒の拘束力が想像以上に強くて、抵抗ができなかった。
「何もないのだがな」
 疑問であふれ返った頭に、また大いなる疑問が落とされた。ちゃぷんと投げ込まれた新たな疑問に、返す言葉を自分は持たずにいる。
「ローグ、あの……」
 長身の友人の笑い声は続いている。ヤクスは楽しそうなのに、自分は冷や汗が浮いて止まらない。
「首輪とは、どういう意味だ?」

 ……そういうことか。

 あの人は、本当に迂闊なことをしてくれた。誤解が誤解を呼んで、ぐしゃぐしゃに絡まってしまったではないか。
 何も話さないと約させたのだから、責任を持って誤解を解いていただきたい。
 それにしても、まさか青銀の真導士がきっかけだとは、思ってもみなかった。負けず嫌いを発揮するなら、どうか相手を選んで欲しい。この調子では、ローグの命がいくつあっても足りなくなってしまう。
「聞かないでくださいとお願いしています。何も話せないのです」
 ローグは、腕輪の真術についてのみ知っている。あの人から貰い受けたという話はしていないし、真術を籠め直してくれたという話もしていない。そんな話をしたら絶対に一悶着が起きてしまう。自分の嘘はすぐにばれるのだから、黙っているのが一番安全だ。
「三人しかいない。俺もヤクスも誰に漏らすというわけでもない。もういい加減に話してくれ」
「駄目です。何も答えられません」
「何故そこまで強情を張る。いったいあの男とは――」
 耳を塞いで音を消した。
「聞こえません、何一つ聞こえません」
 誰にも会わなかったし、何も見なかった。男と言われても記憶には何もない。ないったらないのだ。

 必死なやり取りを、面白そうに眺めていたヤクスが、唐突に席を立つ。塞いでいる手の平の外側で、窓を開けてもいいかと声がしたようだった。でも自分は、あまりに必死だったので返事はできなかった。
 勝手知ったるという具合に、窓掛けを上げ。外に通じる道を開いた友人から声が上がった。音が鈍くて聞き取れなかったけれど、ローグがそれに反応したのだけは見えている。話が逸れるやもと期待して、両手をわずかに浮かせてみた。
「近頃は霧がよく出るねー。サガノトスはそういう場所なのかな」
 珍しがっている声と共に、夜風に乗って霧が入り込んできた。湿り気を帯びたぬるい風に、全身が総毛立つ。
 金属を叩きつけるような耳鳴りが、頭の中で喚き立てた。
「駄目、閉めて……」
 こめかみが痛む。錐で穴を開けられているように痛んで目が霞んだ。
 霞んだ視界の中、二人が振り返った影像が揺らいでいる。
「ヤクス、霧だ!」
 ローグの声に、ヤクスが大慌てで窓を閉じる。ガラス戸で霧の侵入を阻んでも、耳鳴りは消えない。
 霧に染まってしまった大気から、身をかばおうと縮こまる。
 触れてはいけない――これは毒だ!
「サキ、"浄化の陣"は?」
 縮こまりながら首を振る。あの真術はまだ展開できない。
「ローグ、まかせろ。二人とも真力は出さないでいてくれよ……!」
 言うや否や。家を丸ごと囲む大きな真円が描き出された。
 正鵠の真円は立ち昇りながら、家中の大気をさらさらと中和していく。真円を描き続け、確認するように自分を見てきた紫紺に、肯きを返した。耳鳴りは消えたし、身体を支配していた悪寒も治まった。
 危機は脱したと判断してもいいだろう。
「……ねえ、オレの真円で消えたってことでいいんだよね」
「ええ。間違いなく消えていきました」
 ヤクスの真円によって掻き消される霧の正体。答えはたった一つしかない。

「この霧も真術ってこと?」
「恐らくは……、霧に"隠匿の陣"の気配が混ざっていましたから」
 だから触れるまでは気づかなかった。触れて。身体に吸い込んで。やっと感知できるくらいの薄い真術だ。
「……全部で四つ、か」
 低い独白の後。三人で視線を交わした。
 迷宮は誘う。奥まで来いと。
 囲って。塞いで。戻れなくなるまで追い立ててくる。
 進まなければいけない。けれど、どこへ向かえばいいのだろう? 闇夜に問い掛けても、女神からの慈悲は返ってこなかった。

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