蒼天のかけら 第六章 倉皇の迷宮
小休止
朝一番で、ヤクスが出て行った。
全員の家に訪問し、連絡をするついでに、正鵠の真円で浄化を行うことになっている。
昨夜は遅くまで議論を重ねていた。
サキは、自室で休んでいろと言われもした。自分は娘でもあるが真導士であると主張し、どうにか二人の会話に参加させてもらえた。里で何かが起こっているのなら、自分だって当事者だ。何も知らないで安穏としているなど嫌だった。
「サガノトスで、何かが起こっているのは間違いない。……この意見に相違はあるか」
ローグの問いに、ヤクスと一緒に否と返す。
「では、何かが起こっているという前提で考える。起こっている出来事としては、一つ目が"森の真導士"。二つ目がギャスパル。三つ目が"隠匿の陣"の紐。四つ目が"隠匿の陣"の霧。……他に気になることは」
「あとは、導士達が浮き足立っているという話です。二つ目の関連かもしれませんけれど……」
「関わりがありそうだが、分けておこう」
彼はそう言って。手元に置いてある手帳に、五つ目の項目を書きつけた。ローグの書く文字は、力強くて大きい。彼の性格を、そのまま映している筆跡を見つめていたら、ヤクスから声が掛った。
「二人に聞いておきたいんだけどさ」
「何だ」
「"隠匿の陣"をどこで知ったんだ?」
呼気の乱れをどうにか抑えた。
のんびりとした声であるのに、誤魔化せない力を持っている問いだった。思わず口を噤む。
「ベロマの実習だ。キクリ正師からは詳細を教えてもらえなかったから、図書館の本で調べた。真術の気配を消す力があり、"探索の陣"という真術でしか見破れないと記載されていた。それをサキは感知できる」
嘘はついていなくとも全部を話してもいない。その機転が頼もしいような、怖いような……。
他に聞いておきたいことはないかと問い返したローグに。「大丈夫」とヤクスが答えた。
ヤクスの笑顔も怖い。ちゃんと納得してくれたと思ってもいいのか。やましい部分があるから、自分だけが過敏になっているだけであろうか。思考の渦に巻かれてしまいそうだったので、無理に話題に意識を向けた。
「さっきも言った通り、"森の真導士"に対しては何もできない。できることといったら、気配を察知したら逃げるぐらいだな」
こくりと肯く。
肯きと同時に、感情が落ちていた彼の表情が、少しだけゆるんだ。
「ギャスパル達の件も、話した通りだ。奴等は目的がわかり切っているから、合わせて対応すればいい」
問題はと言って。ペンの後ろで手帳を、とんとんとんと叩く。
「目的が見えないこの三つ。色紐と霧と導士……。特に"隠匿の陣"で繋がっている、色紐と霧だな」
ローグが書きつけている手帳の横に、問題の色紐が置かれている。
ユーリが所有していた朱色と黄色の紐は、すべて自分に預けられていた。
「"隠匿の陣"を弾けさせてみるか」
「もうやってみた……どうも上手く行かない。上位の真導士が籠めたのだと思う」
術具に籠められた真術を"抑える"なら、どの真導士でもできる。しかし真術を弾くのには、相手の力量を上回る必要がある。ローグが弾けないというなら、上位の真導士が籠めたと考えていいはずだ。
「こんなものを、どうしてユーリちゃんが持っていたんだ」
「"三の鐘の部"の娘さんに貰ったそうです。"おまじない"が流行り出してから、余った色紐をやり取りしているそうで。貰った相手はわかっているのですが、その人も誰かから貰ったと話していたようで……」
「じゃあ、出所がわからないわけか」
ヤクスが黄色の紐を摘みながら、怪しいねとつぶやいた。
ランプに照らされてゆれる黄色の紐。長身の友人が言うように確かに怪しい。
男達が帰ってくるまで、ユーリから詳しく話を聞いていた。
"おまじない"を、いつ、誰がはじめたのか。
この質問に、彼女は力なく首を振った。
誰かはわからない。流行りはじめた時期も、里に来てすぐだったことしか記憶にないと。
「また"最初から"だね」
「そして"三の鐘の部"だ。揉め事は"三の鐘の部"が起点となっている。組み紐など"二の鐘の部"では誰もしていない」
黒の瞳がこちらを見る。
また一つ、こくりと肯きを返す。
"二の鐘の部"の娘は、誰も組み紐をしていない。組み紐は鮮やかな色合いの装飾だ。誰かがしていれば確実に記憶に残る。
「……これ、危ないですよね」
「ああ、何の真術が籠められているかわからない。そのようなものが安全であるとは思えないな」
窓がかたかたと鳴っている。風が出てきたようだ。
夏が近づいてきているこの時期。できるだけ外の風を取り込みたい。でも、今夜はとても開ける気にならなかった。
「どうする……」
「キクリ正師のところに持っていこう。まずは"隠匿の陣"の下に、何が籠められているかを知りたい。こういう代物が出回っているという報告もしておくべきだ。霧の件も一緒に相談してみよう。正師ならサキの能力のことを知っている。話が通りやすいはずだ」
「人出を分けるか?」
「いや……、全員で行こう。ばらけるのは良くない」
議論はここで終わりを迎えた。
今日、"三の鐘の部"の座学が終わってから、門の前に集合して中央棟に向かう。
それで、この不安な気持ちが少しは晴れるだろうと、楽天的に考えていた。
ヤクスを見送ってから、少しだけ二人の時間ができた。
学舎へ向かう支度も終わっていたので。久々に長椅子でゆったりとした時を過ごす。
ローグは膝に本を。脇机に手帳を起きながら作業に没頭している。真剣な眼差しを隣で眺めながら、ぼんやりと空を流れていた。
議論に参加するなど慣れないことをしたものだから、どうも頭の働きが悪い。男達は事が起こるたび、このような議論をしているのか。それを考えれば、女として生まれてよかったと思えてしまう。
どこかの領地には、女の領主がいるらしいと見聞していた。
自分には政も、難解な議論も向いていないようだ。領主ではなく、一介の真導士としての宿命が下ったことに、感謝の祈りを捧げる。
祈りを捧げながらも、左右にゆれる鮮やかな黒髪に視線を移す。相変わらず表情が抜け落ちている。
少し疲れが浮かんでいるように思えて、そっと頬に触れてみた。
「どうした」
視線は手帳に落ちたまま。けれどわずかに目を細めた彼の肩に、頭を乗せた。
くつくつと笑う彼。笑うたびに、乗せている頭がゆらゆらとゆれる。
「寂しがりは、治っていなかったのか」
「どうでしょう……。自分でもよくわかりません」
知りたいのなら気配を読めばいい。ローグなら正確に感じ取れるだろう。
「少し、根を詰め過ぎていませんか」
ここ数日で、ローグの負担は大きくなってきている。牽引役を引き受けているのだから、疲れが溜まってきていてもおかしくはない。頼もしいとは思う。でも、心配な気持ちもある。
黒の瞳に自分が映し出された。
「いまくらいは休んでください。解決まで時間が必要になると言っていたでしょう」
"森の真導士"に限らず、すべての問題の根は深い。そもそも誰が何の目的で動いているかが不明。調べるだけで時間を要するだろうと、予測したのは彼だ。
低い笑いと共に、穏やかな表情が戻ってきた。
「確かに……、休みも必要だな。すまない、熱中するとどうも周りが見えなくなる」
インク壺に蓋をして、ペン先を拭って仕舞う。
分厚い本にしおりを挟んで、手帳を重ねて脇机に一まとめにしながら、深い吐息を吐いている。
「何を調べていたのですか」
右手の人差指と親指で、目の窪みを抑えているローグ。その仕草に疲労の蓄積を見た。彼が自ら進んで、人に弱音を吐くことはない。時々は、無理にでも休ませた方がいいのだろうか。
「真術が悪用されて起こった事件の詳細だ。何か近い事象があればと思って探しているのだが……。困ったことに量が膨大で。一つ一つ検分していると時間ばかり食う」
言いながら右手が頬に伸びてきた。お馴染みの仕草を甘んじて受け入れる。頬を撫でる手から、仄かにインクの匂いがした。
「たくさん事件が起こっているのですね」
「思っていた以上にな。確かに"隠匿の陣"は悪用されやすいようで、ほとんどの事件に記載がある。あとは片生と真術の"暴走"……。どれもこれも、怪しいように見えてくるから不思議だ」
身に覚えがある部分には、胸の奥で反省をした。過去の過ちを恥じ入る必要もあるけれど、いまは何よりローグのことが案じられる。声にも疲れが滲んでいるのだ。
やる気を出したのは喜ばしいこと。けれど、一人で背負い込んで欲しいと願っていない。
どうやらローグには、自覚がなさそうだ。前進することに夢中で、無理をしている自覚がないのだろう。頬を撫でている熱い手に、自分の手を重ねた。
「一人で頑張らないでください」
ローグは、苦笑しながらも額を合わせてくる。
仕方なしに真眼を開いて彼を受け入れた。今度は何を確認しようとしているのだか。毎日確認しなくても、彼への気持ちが変わることはないのに。
熱い海の気配はいつも通り。真力と気力は充実しているらしい。しかし、身体の疲労は休むことでしか癒せない。
いまこの時だけは、すべてを手放して休んでもらいたい。
比較すれば矮小とも言える自身の真力で、彼の周囲を包み込む。真力が高過ぎるローグは、他者の真力を自身の力で弾いてしまう。気配に鈍い彼が、最も容易に感知できるのは、相棒である自分の気配。
皮肉な話だ。
史上最高の真力を持つローグに強く影響を与えられるのは、史上最低の真力を持つ自分なのだ。
真眼に集中して意識を高める。
休んでくれ、力を抜いてくれと思いを乗せて、真力を世界に注ぐ。
「涼しい」
ぽつんと飛び出た低い声。疲れの色は抜けていないが、入っていた力は抜けてきているようだ。
「わたしの気配が、ですか?」
「ああ、涼しくて気持ちいい。夏にはもってこいだな」
真力で涼を取られるとは思わなかった。だが、自分も彼の真力で暖をとっている。番はとてもよくできているのだなと、感心してしまう。
合わせていた額が外され。代わって自分の肩に頭が乗せられた。黒髪が頬に当たってくすぐったい。
……これは、甘えられていると思っていいのか。
鼓動が騒がしくなる。ローグの髪が当たっている頬が熱い。こういう時はどうすれば……と羞恥に乱されつつ。自分が甘えている時のことを思い出す。いつもローグは、頭か背中を撫でてくれていたはず。しかし男の人の頭など撫でては悪い気がする。子供扱いされたと拗ねてしまいそうで躊躇われた。背中の方が無難であろうと、そうっと腕を回して、あたたかい背中に手を置いた。様子を窺って、ゆっくりと手を動かしてみる。
これで、どうだろう。
広い背中を撫で擦っていれば、肩に乗っている頭から声が響いてきた。
「……誰にも言うなよ」
人に知られたくはないらしい。甘えることすら恥だなんて、男の人は大変だ。
「わかっています」
貴方の誇りなら、ちゃんと守ってあげる。だから――
「たまには、わたしを頼ってくださいね」