蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


彼女のこと


「まだ駄目なのか。今日でもう三日だろう? 正師に相談した方がいいんじゃねえか」
 そうだなと、返事をした黒髪の友人は、何故かクルトから目を逸らした。

 ローグの相棒であり、恋人でもあるサキちゃんは、ここ最近体調を崩している。
 サガノトスの不穏な気配を察知しようと、真眼を開きっぱなしにしていたのが原因だ。サキちゃんは他のどの真導士よりも真力が少ない。けれど真力の不足を補うように、誰よりも鋭敏に気配を察知できる。異能とも言うべき力を、向かってくる脅威への対抗手段として活用していたところ。思わぬ落とし穴に嵌ってしまったらしい。
 真導士の里の気配は、サキちゃんには強過ぎたんだ。
 実習で相対した、"片生の魔導士"。正規の真導士ほど力を有していない連中の気配ですら、遠く離れたところから正確に読み取れるほどの能力。その能力の高さが裏目に出てしまった。

(……とは、聞いてはいるんだけどね)

 水が少なくなったグラスを見つめるローグ。サキちゃんが体調を崩してからというものローグの様子が少しおかしい。
 おかしいということだけは、オレも知っている。ジェダスやクルトは気づいているかな。

「ギャスパル達の様子はどうだ」
 ローグはジェダスが入れた茶には手をつけず、水ばかりを飲んでいる。
 腹を壊すぞと胸の内だけで、ちゃちゃを入れてやった。
「相変わらずですよ。一人になっている者を狙ったり、娘だけの番を脅したり。やりたい放題です。……不愉快な話も一つ。サキ殿の居場所を探しているようです」
 黒の眼光が鋭くなった。
「寝込んでいることは知られていないからな。どっかに隠れていると思い込んでいるみたいだぜ。倉庫とか"転送の陣"に張っている奴がいた」
「……ご苦労なことだ。まさかずっと家にいると思っていないだろう。丁度よかったとも言うべきか。家の周りが静かなら、サキをゆっくり休ませてやれる」
 不敵な笑いを浮かべたローグの中で真力が高ぶっている。サキちゃんはローグの弱点であり、逆鱗である。
 カルデス商人の恋人に手を出すなど、普通の男なら恐ろし過ぎてできない所業。
 勇気があると褒めるべきかな。……正直、悩ましいところだね。
「人数は増えているのか?」
「三人増えて十二人です。こちらは十一人ですから、ほぼ同数かと」
「他の連中は」
「家で潜んでいるか、喫茶室で過ごしている者が大半です。それから、修行場に来る人数が減っていますね。重なる騒動とギャスパル達の脅しで、完全に怯えきってしまっているようです」
「そうか」
 ローグの返事を聞いてから蠱惑の二人が顔を見合わせ、何事かを確認し合った。
「……状況は荒れてきている。でもあの怯えようは変だ。きっとあれが霧の効果だろ。ジェダスとも話をしたが、蠱惑の真術にそれらしいのがあるんだ」
 名は"誘操の陣"。
 大戦中、活用されていた曰くつきの真術だと言う。
「精神を不安定にして、暗示を掛けやすくする効果があります。大戦中は自軍の戦意の強化や、敵方の戦意喪失のために活用されていたとか」
「"掛けやすくする"ってのが、この真術の肝でな。目立った効果は一切見えないんだ。不安定にさせるってだけ。だから、気がつくのが遅れがちになる。目に見えて精神が荒れ始めた頃には、自分が普通ではないと判断できないくらいに嵌っていることが多いってよ」

 それだ。

 蠱惑の二人は当たりくじを引いたんだろうな。自分の内側で、真導士の勘が大当たりの旗を振っている。
 "誘操の陣"の霧で、導士達を不安定な状態に置き。送りつけた術具でさらに追い打ちをかける。
 誰が犯人かは知らないが、いやな性格だ。
「色紐の件……。キクリ正師は何と言っていたか」
「確か、幻惑と増幅。他にも何か入っているみたいだけど、その二つの効果ならわかる。幻惑は言葉の通り。人の心を惑わす真術。増幅も似たようなもんで、人の心の振れ幅を大きくする。感情の起伏が激しくなるから、気力の乱れを誘うのに最適」
「徹底している。よっぽどくどい輩が犯人だ。おかげで犯人の狙いがわかってきたな」
 犯人の狙い。
 それは、導士達を不安定にさせることにある。不安を煽り、不満を誘発し、人心を乱れに乱れさせる。
 残念ながら気がつくのが少し遅かった。導士達は狙い通りに不安を募らせて、互いを信頼できない状態になっていた。
 里の導士達は病んでいる。不安という名の病に憑かれている。病は気からとは的を射た言葉だ。先人達は何と偉大だったのだろう。
「対抗する真術はないのか?」
「守護で予め防御するくらいか。毒でも呪いでも無いから、浄化じゃ効果が出ねえ」
「ヤクス殿の出番ですね。里の全部を真円で中和してきてください」
 あっさり言ってくれるな、ジェダスも。
「中和するのはいいんだけどね。真円から逃げられたら意味ないし。攻撃だと勘違いされて、反撃受けるのが関の山でしょ。正鵠の真術は難しくて、まだまだ習得に時間が必要なんだ。オレ一人じゃまともに戦えないよ」
 皆はいいよな。初歩真術が用意されていて。
 正鵠の真導士は稀有だ。
 人数が少なくて他の系統より真術の開発が進んでいない。元からある真術は、すべて伝説の正鵠が編み出したものばかり。難易度が高過ぎて、導士の身だと習得がえらい大変だ。自分が戦うとしたら、いちいち人に輝尚石を造ってもらわないといけない。その上、正鵠の真術は医療に活用ができない。
 オレ……本当は天水が良かったんだけど。
 女神の気紛れにもほどがある。ああ、無性に虚しくなってきた。霧に毒されたのかな?
「確かに、全員の真術を飛ばすのは現実的とは言えんな。声を掛け合うくらいの親しい者だけにしておけ。真術の練習だとでも言えば、何とかなるだろう」
「……まあ、そのくらいだったら」
 あらら、ローグに気を使われちゃったよ。
 オレもまだまだ修行が足りないね。
「狙いははっきりしましたが、やはり目的はわかりませんね。犯人は、何がしたいのでしょうか」
「犯人はギャスパル達じゃないのか? 同期の連中を不安定にさせて、脅しやすくする」
 クルトの意見を、ローグは強く否定した。
「奴等ではないだろう。同期の全員が不安定になることは、奴等にとって利がある。だが"隠匿の陣"は上位真術だ。導士では習得不可能。真術書にも三年は修業が必要だと載っていた」
 短気なクルトは、腹立たしそうに赤毛を掻いた。
「クルト。霧にやられてるんなら中和しようか?」
「やられてねぇよ。……じれったくて堪んねえだけだ。お前らよく平気でいられるよな」
 つい笑いが出た。
「平気とは言えませんね。いやな気分です。ただ、思惑に乗るのは絶対にお断りです」
「だなー。狙いが情緒不安定だって言うなら、全力で気力を整えたくなるさ」
「負けず嫌い共め」
 ローグにだけは言われたくなかった。全力で整えていた気力が、乱れそうになる。
 半目になってじっと見ていれば、楽しそうに喉で笑っている。
 ……こいつ、わざとだな。
 嫌味の一つでも言ってやろうかと思っていたら、外から"四の鐘"が聞こえてきた。
「もうこんな時間ですか。……すみませんが、これで失礼します。ティピアが帰ってきますので」
 そう言うと、ジェダスはクルトと一緒に出て行った。
 "四の鐘"の時間帯なら見回りの高士の数も多いから、二人でも大丈夫なはずだ。
 二人を見送って、再び食卓につく。
 頼れる相棒は、あと十日ほどで戻ってくる。彼女が帰ってくる前に、少し掃除をしておかないとまずい。たまり場と化している自宅の居間は、汚れが目立ってきていた。
 こんな光景を見せたら「汚い」と説教されてしまいそうだ。怒られない内に片付けておこう。

「――さて、と」
 むさい茶会を続けますか。
「調べは進んでいるのか?」
「それなりに。量が多過ぎて目が廻りそうだ。少し手伝え」
「無理、無理。医学書なら読むけど、他の本は苦手でさ。……で、少しは何かつかめたか」
 この件に関しては、二人だけで追いかけていた。不安だらけの中、さらに大きな不安は与えないようにしようと、他の五人には話していない。
「"森の真導士"が起こした爆発――あれほどの爆発は、上位真術でも難しいようだ。片っぱしから真術書を見ているが、どうにも見当たらない」
 予想通りの答え。
 謎に満ちた真導士が使う真術は、存在と同じように謎に満ちている。
「霧の件はどうする。狙いはわかったし、周囲の連中だけでも伝えておくか」
 黒髪が左右にゆれた。
「やめておこう。色紐の件と繋がっているとしか思えん。色紐と繋がっているとなると、どう考えても導士の中に手引きしている者がいる。……そうでないと不自然だ」
 色紐は"三の鐘"の部の、お嬢さん方の間で回されていたものだ。
 お嬢さん方の中か、もしくは"三の鐘"の部の導士と、接触できる者が関わっていないと難しい。
 疑わざるを得ない。
 導士達の中に、"隠匿の陣"を展開できるほどの力を持つ真導士と、繋がりを持っている者がいる。胸の悪くなる話。だからローグは、サキちゃんに伝えることを躊躇っている。
 ほんと、サキちゃんにはとことん甘いね。お熱いことで。
「わかった。じゃあ、中和もこっそりやっておく。……で、十二年前の件は、何か残っていたのか?」
「いや……、これが一番難題かもな。何も残っていない。図書館にある本で、十二年前に触れているような本は、ことごとく貸出中か黒塗りだ」
「それじゃあ手詰まりだ。どうする、諦めてギャスパル達に集中するか」
 回答なんて聞かないでもわかっている。わかっているけど聞いてみよう。きっとオレと同じ考えだ。
「いや、諦めはしないさ」
 往生際が悪いな、お互い。
「まだ、手は残っているし、少しだけわかってきたことがある」
「本当か?」
 もったいぶるなよと、表情だけで抗議をしてやる。
 抗議を受けた黒髪の友人は、力の抜けた笑いを浮かべた。
「ちゃんと話はする。だが、その前に頼まれてはくれないか?」
「本の解読以外ならね」
 友人の様子のおかしさを誤魔化してやろうと軽い口調を出した。残念ながら効果はなかったと、続いて出た言葉で理解をする。

「サキを……診て欲しいんだ」

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