蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


娘と喜劇


 荒れた息を整えようと、目の前にある若木に手をついた。
 朦朧とした意識が、徐々に鮮明さを取り戻す。
 長い、長い距離を走ってきた。
 ばくばくと鳴りっぱなしの心音。心臓が破裂しそう……それがもっとも正しい表現だった。

 油断してしまった。
 人がいるからと、窓を開けていたのがいけなかった。ジュジュを見送った後、窓辺で涼しい時を過ごしていたのだ。
 扉を隔てた居間に、十人の導士が居る。これだけの人数がいて、昨日のようなことは起こるまいと油断し切っていた。
 思い込みとは恐ろしいものだ。
 息を整えながら、眠気に毒された意識を懸命に研ぎ澄ます。
 真円を右の手首に描いて、癒しを掛ける。外に出ないせいで青白さが戻ってきた皮膚に、赤紫の滲みがある。
 周囲に目を配り、傷口を癒していく。
 手首の傷が治ったことを確認し、右肩にも癒しを加える。
 投げ縄に捕らわれ、強引に家の外まで引き出された。負荷がかかった右腕は、ずきずきと痛みを発している。
 あの投げ縄が真術だったら、きっと誰かが来てくれただろう。真導士となって早数ヶ月。考えの根本に真術が食い込み過ぎていた。真術以外の攻撃を、想定していなかった自分の愚かさが悔しい。

 助けを呼ぶ暇を与えられず、外に引き出された。そして昨日と同じように口を塞がれ、樹木の生い茂る方へと連れ去られてきた。金の仮面達は、自分が倒れるほど具合を悪くして、寝込んでいると思っていたようだ。
 昨日の襲撃での無抵抗は、それを思わせるに十分な様子だったのだろう。
 いまごろ、慌てているに違いない。動けないはずの獲物が、突然大暴れして逃げ出したのだ。手と足を括られていないことが幸いした。外に出し、口を塞いだことで満足していたようだ。そこで満足するように、あえて無抵抗を演じた。
 自分もなかなかやるではないか。
 逃げる途中で、ローグの輝尚石はすべて使い果たしてしまった。後は、自力で家に戻るしかない。
(ここ、どこだろう……)
 サガノトスは樹木だらけだ。
 道から外れてしまうと、どこにいるのか皆目わからなくなる。
 真眼を開けば金の仮面達の居場所も、自分がいる場所も把握できる。いまの自分ならばきっとできる。強い力を有している真導士の位置を、視ることなど容易い。
 あとは位置だ。
 空に浮かぶ日は、頂点を過ぎて西に動いている。ならば真眼を開いて、里の中心にあるという巨大な輝尚石を視ればいい。真眼さえ開ければ簡単なのだ。
 真眼さえ……開ければ。

 耐えられるだろうか?

 本格的な眠気はまだ訪れていない。けれど真眼を開いてしまったらどうなるか……。
 起きていられないほどの眠気に襲われて、今日で四日目。いまだ眠気の法則は解明されていない。今日は断然起きていられる時間が長い。
 治った、とも考えられる。
 しかし、治っていないとも考えられる。真眼を閉じ切っていたから、拾った気配が薄まっただけ。そういう風にも考えられるからだ。
 開くか、開かないか。
 眠ってしまったら最後。金の仮面に攫われて、どのような目に合わせられるか。夢からの使者だとすれば、二度と目を開くことができなくなってしまう。
 身に余る力は疎ましい。嫌悪感さえ抱きはじめている異能な力は、使えないなら使えないでさらに疎ましく思える。
 樹木に隠れて息を潜める。
 今日は風が吹いていない。夏の大気と木々が持つ水気で、大気が湿気ている。
 不快な心地を鎮めようと深呼吸をした。

「いたぞ!」

 身体がびくりとなった。見つかったと周囲を見渡し、逃げようと構えてみたものの金の仮面が見当たらない。
 代わって白が、樹木の隙間から色を出している。
「待て、待ちやがれ!」
 複数の男の声。樹木の合間を動き回る白が一つ。それを追う白が四つ。
 樹木の合間からちらちらと色を出している白達が、自分の方へと向かってくる。
「絶対に……いや!」
 甲高く叫んだ娘の声……この声は。
「ディア!?」
「え……サキ!?」
 葡萄色の前髪は、汗で額に張りついている。すっかり頬が紅潮したディアと、正面から相対する。
 呼び捨てにしてしまった。
 心の声が、うっかりと世界に出たようだ。
「何で貴女がここにいるのよっ!」
 ぜいぜい肩で息をしているディアは、混乱しながらも睨みつけてきた。
 ついついむっとなる。
「貴女こそ。こんなところで何をしているのですか?」
「見てわからないの!?」
 きんきんときつい声が、樹木の隙間に散っていく。
「……やっと、追いついたぞ。もう逃がさねぇ――あれ、お前は」
 しまったと、血の気を引かせたディアは急いで背後を振り返った。円筒の帽子についている金属が、しゃらりと音を立ててゆれる。
「"落ちこぼれ"か。ちょうどいい、オレ達はついているな」
 ディアにわずか遅れて、自分も血の気を引かせた。
 ディアを追ってきた男達はギャスパルの舎弟達だった。
「大人しくついて来いよ。ひどい目に合わされたいのか?」
 見覚えがある顔。クルトを挑発して、ユーリの髪を切ってやると言っていた男だ。

「いやよ!」
「いやです!」

 同時の拒否に、お互いが一番吃驚してしまった。
 見開かれた紅玉と思わず目を合わせる。
「……ったく、厄介な女共だ」

 男達が構えて、真円を描き――樹木の上から金の仮面達が降ってくる。

「何だ、こいつら!?」
 揉み合う男達と、仮面の集団。
(いまだ……!)
 何の示し合わせもなかったけれど、ディアと一緒にその場から逃げ出した。
「待てぇっ!!」
 後方からの叫びに、誰が待つものかと内心で返事をした。叫びが上がった方向から、まばゆい白が明滅する。真術での混戦の気配。巻き込まれるのはお断り、である。
「ディアは、追われているのですね」
「そうよ。何か文句あるっ!」
「そうですか。実は、わたしもなのです」
 何という、喜劇だ。
 追われている者と、追っている者同士が、かちあってしまった。
「貴女、何とかしなさいよ! 手持ちの輝尚石を全部使っちゃったから、何もできないわ!」
「わたしも使い切りました」
「ああもう、肝心な時に役に立たないんだから!」
 甲高い声に、ふつふつと沸いてきた感情をぐるんと巻いて、丸ごとぶつけ返してさしあげた。

「――お互い様ですっ!!」

 気分が悪いので互いには視線を向けず、前方を見据えて走っていく。
 場所など特定している暇はない。とにかく距離を稼ぐことが先決だ。走って逃げている途中で、見覚えのある苔むした岩場に到達する。
 夢で見た場所。この先は……まずい。
「ディア、こっちは駄目です。方向を変えましょう」
「うるさいわね。勝手に決めないでよ」
 非友好的な態度ながらも、ディアは自分に合わせて方向を変えた。
「あの仮面も、ギャスパル達と一緒なわけ?」
「別です。気をつけてください……刃物を持っていますから」
 荒い呼吸の合間に、情報の交換をする。
 気分の悪さは相変わらず。互いにつんけんしたまま、それでも逃げ伸びる知識を得ようと必死だった。
 ディアはギャスパル達に追われている。
 イクサの相棒だからだろうと察しがついた。好戦的な彼らは、敵対しなければ敵視しないという考えは持たないようだ。
「真眼開かないの? "役立たず"なりに、役に立ちなさいよっ」
 ええい、まだ言うか。
 今日はイクサの姿も見えないので、敢然と言い返してあげよう。
「わたしにも事情があるのです。人を"役立たず"だと言うなら、わたしより役に立ってくださいっ」
 そうしたら、とてもとても失礼なことを言われた。
「貴女、相棒の前で猫被ってたのねっ?」
 むっとするどころではない。悪女も猫被りも、自分の実像とはかけ離れている。そもそもうちの相棒は、誰よりも自分の気の強さを承知してくれている。相棒の前で猫を被っているのは、むしろ――。
「それは貴女でしょう。一緒にされたくありません!」
「何ですって!」
 もう、大騒ぎである。乱れに乱れた気力を、整える気などこれっぽっちも残っていなかった。
 この状況で、足を止めないでいることが奇跡だ。
 本能だけで、逃げ回り続ける。
「貴女ね――」
 ディアの甲高い声が耳に突き刺さってきたと思ったら、がくんと視界が落ちた。



 叫ぶ間もなく。
 喜劇の演者と化した天水の娘二人は、唐突に開いた大地の穴に、吸い込まれて消えた。

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