蒼天のかけら  第八章  因果の獄


道を探して


「おい……、ローグ。しっかりしろ、ローグ」

 身体がゆさぶられた。
 呼ばれていると知っていても、身体が動かない。
 鉛のようだと思っていた身体は、本物の鉛となったのだろうか。脈打つたびに痛みを発する頭をかばうため、のっそりと腕を上げた。
「聞こえているか? 目を開けろって。オレだ、ヤクスだ」
 うるさい。
 あまり近くで喚くなと、上げた腕を振って返事をする。
 頭痛がひどい。
 近くで大声を出されては堪らない。
「あ、気がついたな」
「……ヤクス」
 ぎしぎしと骨が鳴る身体を、無理やりに起こした。
 起こした途端、吐き気がひどくなる。気分は最悪だった。
「お前、そんな格好で寝てたらいくら何でも風邪をひくぞ」
 ふらりとした身体を、ヤクスの手が支えてきた。
 大丈夫だと言おうとして、息を飲む。
「いまどれくらいだ……」
「何だ」
「鐘は? 鐘はどれくらい鳴った」
「暴れるなよ。さっき"二の鐘"が鳴ったばかりだって」
 "二の鐘"。
 まだ、昼間だ。それだけを確認して大急ぎで立ち上がる。
「おいおい、どこに行くつもりだ」
「どけ。急いで行かないと間に合わなくなる……」
「駄目だって。今日はもう寝てろよ。自分の顔色わかってないだろう?」
「うるさい。離せ……」
「いーや、駄目だ。オレの診立てではお前は病人だからな」
「離せ!」
「駄目だ」
 ヤクスの腕を振り切ろうとして、身を滑らせ床に落ちる。
 痛みのおかげで、曇った視野が晴れてきた。
「ローグレスト。ヤクスの言う通りにしておけよ」
「……クルト?」
 何故、ここにと問おうとして。最初からがおかしいことに気づいた。
「……どうやって入った」
 この家の扉は、住人にしか開けない。こいつらが勝手に入ってきているのがおかしい。
「まあ、合鍵を貰ったから使ってみたんだ」
 ほれほれと見せてきたのは輝尚石。気配からしてキクリ正師のものだろう。
「とにかく、着替えてはいかがです。その格好では、ゆっくり休むこともできないでしょう」
 見ればジェダスまで居る。
 こいつら、いつの間に入ってきたのか。
 家に戻されてからの記憶がない。こんな時にと自分を罵りながら、腕に力を入れて立ち上がった。
「……お前さー、人の話を聞いているか?」
「そこをどけ、ヤクス」
「話はキクリ正師から聞いた」
 だろうな。
 こいつらが家に来るのだから、そういうことだろうと想像がつく。
「ローグレスト殿。食事は?」
「いらん……」
「では、茶の一杯くらいは飲んだ方がいいですよ。雨の中、動くのですから備えは必要です」
 ずきりずきりと痛む頭に、ジェダスの声が鈍って聞こえる。本当はその時間すら惜しいが、拒否するとまた長くなる。
 急く気持ちを孕んだままカップに手を伸ばした。
 淹れてから時間が経っているのか、多少温くなっていた茶を勢いよく飲み下す。鉛と化した身体は、味覚がおかしくなっているようで、茶の味も匂いも感じなかった。
 空になったカップを食卓の端に置き、今度こそ外へと向かう。
 ……が、扉の前に赤毛の友人が立ちはだかった。
「どけ、クルト」
「まあ待てよ」
「急いでいるんだ、そこをどけ……!」
 無理やりにでも道を開こうと、クルトの肩に手を掛けた時。突如、足元に真円が描かれた。

 知らない真術に、知らない気配。

「初めまして」

 後方から女の声がした。
「誰、だ……」
「ヤクスがお世話になってたみたいだから、挨拶に来たわ。私の名前はレアノアよ。よろしくねローグレスト」
 話しながらも真術を展開する見知らぬ娘に驚いて、すっかり油断した。
「これって趣味の悪い真術だから嫌いなんだけど。今日は特別ってことにするわ」
 娘がちらりと視線をやった先には、ヤクスが立っている。
 苦笑いを浮かべているヤクスを見ているのに、焦点がどうも合わない。それどころか足に力が――。
「……っと、危ねえ」
「お見事です、レアノア殿」
 力が抜けた身体を、両脇から友人達が支えてきた。
 そこでようやく、自分がこの四人に嵌められたと気づいた。
「お、前ら……」
「ローグ」
 力を失い、床に戻された身体に合わせ、しゃがみ込んできた長身の友人。
 こいつが主犯だ。間違いない。
「ヤクス、お前……」
「いまはもう休め。その身体じゃあ何もできない。……それに、お前がぼろぼろになって、喜ぶわけないだろう?」

 誰と言われずともわかってしまう。
 手を離して、見失ってしまった彼女。
 何よりも大切な蜜色の彼女が、鈍い頭の奥に浮かんでは消える。
「はな、せ……」
「ローグ」
「行かせろ……、頼むから、行かせてくれ……」
「今日だけだ。今日しっかり休んで、明日からみんなで手分けして探そう」
「……駄目、だ」
「なあ」
「駄目、なんだ……夜は」

 早くしないと、夜が来る。
 彼女が嫌いな夜が来る。
 暗くて怖いと、そう言っていた。苦手なのだと言っていた。

「行ってやらないと……」

 早く行ってやらないと、また一人で夜を過ごさせることになる。
 どことも知れぬ場所で。
 夜を迎えさせることになる。

「頼む、から……」

 彼女のところへ。
 早く、早く。
 行って、やらないと――。






 ローグの腕がだらりと下がった。下がった拍子に、手に持っていた何かが床をころころと転がっていく。
「落ちたか……」
「そうみたいです」
 ジェダスが言ったのを皮切りに、男三人で大きな大きな溜息を吐いた。
「上手くいったねー」
「上手くいったのはいいけどよ。オレ達全員恨まれるな、これ」
「一蓮托生です。抜け駆けはなしですよ、クルト殿」
「……いいけどな。で、どうすんだこいつ」
 こいつと指された黒髪の友人は、盛られた薬と、効果を加速させる真術の影響で昏睡している。
 自力で動くことは不可能だ。全部こっちでやるしかない。
「とりあえず部屋に運ぼう。着替えさせないといけないから、二人共手伝ってくれよ」
 何せ人は、意識がない時はとても扱いづらい。完全な力仕事になるから男手はあった方がいい。
「っていうことだからさ。レニーはちょっと待っててね」

 泥まみれになっていた友人の世話をしてやり。ついでに身体にできていた傷の手当てをしていたら、外から"三の鐘"が響いてきた。なかなかの大仕事をやり遂げて、相棒が待っている居間に戻る。
 人の家だというのに構わず寛いでいたお嬢さまは、食卓に広げられていた本を勝手に読んで、時間を潰していた様子だ。
「お疲れ様。お茶淹れてくれる?」
「ああ、うん。ちょっと待ってて」
 戻ってきて早々に、次の仕事を言い渡された。なので、勝手知ったる友人宅の炊事場に足を運んだ。
 そこで、悲しい現実を見ることになる。
 炊事場には色とりどりの野菜。切り分けの途中だったのか、四等分になった青菜が台の上に乗せられていたのだ。
 友人宅で流れていた日常の切れ端が、無残に取り残されている。
 しなびた野菜のあり様が、時間の経過だけを伝えてきている光景に、胸が詰まった。
 ローグは、この数日をどんな気持ちで過ごしていたのか。
 辛い思いを胸に、炊事場で湯を沸かす。

 沸かした湯と茶器と共に居間に戻り、ひと心地つこうと四人で食卓を囲んだ。
 食卓には、ローグが借りてきていた本が散乱していた。クルトとジェダスがせっせと片付けている横で、我関せずのうちの相棒が本を読み進めている。
 さすがはレアノア。
 どこにいようが、いつも通りだ。

「ひどい話ですね……」
「まったくだ。ユーリを連れて来なくて正解だった」
 二人にはざっとしか伝えていなかった事件の全容を、いまのうちにと話しておいた。
 できれば黒髪の友人が眠っている間に、相談を終えておきたい。ローグは当事者だし、もちろん知っていることだけれど。辛い話を、何度も聞かせることがしのびないと思えた。
「それで、サキ殿の所在は?」
 ジェダスの問いに首を振る。
「まだわかっていない。何か進展があったら一番に知らせてくれるってさ」
 キクリ正師は確かにそう言った。
 だから連絡のないいまは、きっと進展もない状況なんだろう。
「サキが"暴発"を起こしたって本当なのか?」
「それも……はっきりとはしてないみたいだけど。残されていた結果から、どうもそうらしいって……」
 伝えれば友人二人の表情は、見る見る間に暗く染まった。
「……無事だと、いいな」
「うん」
「それは、難しいんじゃないかしら」
 割って入ってきた鈴のような声に、三人揃って顔を向けた。
「レニー?」
「"暴発"は真力の爆発。……つまり真導士の自爆よ。起こしたら最後、絶対に無事では済まないわ」
 言葉を重ねる相棒の表情は、とても平坦に見える。
 でも口調に、悲劇を悼む気配が滲んでいる。
「……レアノア殿。その本は?」
 淡々と語るレアノアの手元には、一冊の本。
「真術によって起こった事件と、事例集……。あの人、この本を読んでいたんでしょうね。しおりがついていたわ。……探したって無駄なのにね」
「無駄って、何がだよ」
「この本、家に同じものがあるの。昔、読んだことがある。お父様に言われて、真術の恐ろしさを知っておくようにって……。"暴走"と"暴発"は、真導士にとってもっとも忌憚すべきこと」

特に"暴発"は――絶対に引き起こしてはならない。

「この本を読んでみるといい。"暴走"は恐ろしくも、まだ食い止めようがあるとわかるだろう。だから、その恐怖と奇跡を学びなさい。しかし"暴発"は、食い止めることがとても難しい。そして結末はいつも悲劇的だ」
 頁を手繰る手を止めた相棒は、本を閉じてこう続けた。
「ご覧、レアノア。"暴発"を起こした者には等しく死が与えられる。弔ってやりたくとも躯すら集めることが難しいのだ」
 沈黙が落ちた。
 薄々わかっていた現実が、眼前に晒された。
「探したって見つかりっこないのにね。……それでも、見つけたかったんでしょうね」
 眠りについた黒髪の友人が探していたもの。
 それは、彼女が無事であるという可能性。

 探しても探しても見つからない、希望の道だったに違いない。

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