蒼天のかけら  第八章  因果の獄



「ちょっと、いつまで落ち込んでいるのよ」

 沈黙を切り裂いたのは、またまたうちの相棒だった。
「しゃんとしなさい。夜に気配が消えるなら、やれることが残っているじゃない」
 唖然とした一同を見渡し、お嬢さまが立ち上がった。
「レ、レアノア殿?」
 完全に気圧されているジェダスが、ちょっとばかり裏返った声を出した。
 情けなさ満載だけど、いまは誰も気にしないだろう。
「ローグレスト、着替えてきて」
「ちょ、ちょっと待ってよレニー。もう全然話が……」
「黙ってて。話が進まないわ!」
 うひー。
 あまりの恐さにびくびくと縮こまる。
「ぼさっと座ってないで、着替えてきて頂戴。貴方達もよ。さっさと出掛ける準備をして」
「おいレアノア。お前、急に何を言い出して」
 勇気のあるクルトの発言は、吊り上がる眉毛と藍色の瞳にあっけなく霧散させられた。
 こうなるとレアノアは止まらない。
 とは言っても、相棒としてやらねばならぬ仕事というのもある。
「レニー」
 藍色としっかり目が合った。
 覇気を漲らせた瞳に、生唾をごくりと飲んで慎重に言葉を出す。
「それじゃあ、わかんないよ。夜に気配が消えるってことと、これから出掛けることがどう繋がるのさ。レニーが言うなら確かなんだろうけど、さっぱりわからない」
「だから、夜に気配が消えるからよ」
「だから探せないんじゃないか」
 きゅっと瞳の色が濃くなった。レアノアが落ち着いてきた証拠だ。
 うちのお嬢さま相棒はとっても頼れるけど、ちょっと強引なところが玉に傷なんだよな。
「手がかりになる気配が、その娘だけだと思っているから暗礁に乗り上げるの」
「でも……」
「ぐだぐだ言わない。もちろんただの"暴発"なら、私も諦めたわよ。でも、その娘の真力に特徴があると言うなら――」
 黒の眼差しが真っ直ぐにレアノアを見た。
「やりようは、まだあるわ」



 闇の中、天高く塔がそびえ立っている。
 捜索担当の高士達すら引き上げた場からは、"呪い"の祭壇のような雰囲気がただよってきている。
 ……うれしくないね、こういうの。
 強引なレアノアに連れられて、結局全員が夜の雨の中を進軍するはめになった。
 お嬢さまの怖さに気圧されてというのもある。ただ、やはり友の行方が気になっているのだろう。こういう場所が苦手なユーリちゃんでさえ、文句一つも口に出さず着いてきている。
 夜、導士だけで里を抜けることに許可が出たのは、ひとえにお嬢さま相棒と……キクリ正師のおかげだ。
 やり残したことがある。
 自分達を信じて、塔に向かわせて欲しい。
 こんな嘆願、本来なら聞いてもらえない。
 しかし、今回は許可が下りた。そこにあるのはガゼルノード家に対する厚い信頼と、正師の導士を思う気持ち。
 里と塔を行き来する"転送の陣"は、現在キクリ正師が維持してくれている。決して無茶はしないことと、必ず全員で戻ることを約束させられて、ここまで通してくれた。その気持ちに応えたいと気を引き締めた。
「まずは現場の確認。確か最上階でいいのよね」
「ああ……」
 応じたローグは、転送の真力に当てられたらしく顔色が悪くなっていた。クルトが肩を貸してやっているが、立っているのもやっとの様子。
 医者としてはやめておけと言うべきだ。でもいまは、医者の小言を封印することにした。
 目指すは最上階。塔の六階に向かって友人達と、そこに足を踏み入れた。
 出入り口に敷かれていた真術は、捜索の過程で弾かれていたようでオレ達の進軍の障壁とはならなかった。
 螺旋状の階段を、レアノア先頭にして進む。すっかり主導権を獲得したお嬢さまの指示に、逆らおうとする猛者はいまのところ出現していない。
 本当はもっとちゃんと紹介したかったんだけどな。
 まあ、遅かれ早かれこうなっていたか。頼もしい相棒の後ろを進みながらぼんやりと考えてた。

 階を上がるたびに遅れがちになってきたローグを、全員で励まして……昇りつめた最上階。
 三階を過ぎたあたりから、ぴりぴりと感じ取っていた気配の大本に辿りついた。
 最上階の牢獄は、他の階の牢獄とは様相が違う。一階から五階まではすべて鉄格子だった。しかし六階の牢獄には鉄扉が設置されている。
「この鉄扉ってさ……、やっぱりわざとだよね」
「そうでしょうね。あらかじめ真導士の調査に備えていたと言うし」
 六階の廊下を、迷いなく進むお嬢さま相棒の後ろを、六つの影がついて歩く。
「ここに輝尚石が嵌っている。結界の真術だわ。……本当に腹が立つ。部屋全体が結界で覆われている。これじゃあ、外に連絡できないじゃない」
 怒り心頭のレアノアの言葉を、痛みと共に受け入れる。
 後方でローグの気配が、風にあおられた蝋燭の炎のように頼りなくゆめいている。最上階の牢獄は、悪名高い領主の警戒心の強さを、白日の下にさらしていた。

(こんな場所に……)

 彼女は一人、捨て置かれていた。
 高士達に対する感情は、オレの中で確実に醜く育っている。醜い感情をありのまま育てながら歩き、そこに辿りつく。
 覚えのある真力が鉄扉の奥に広がっている。
 牢獄の鍵は捜索がされた段階で、全室解錠されていた。いまはもう鍵を外された頑丈そうな鉄扉がそこにあるだけ。誰も阻むことがなくなったその場所を、レアノアが大きく開け放つ。

 背筋に雷が走った。

 真眼から入ってきた悲鳴のような気配は、儚く頭の中で溶けて消える。気力を削られないよう呼吸を整えて、牢獄の中でランプをかざした。
 浮き彫りにされる石畳の獄。
 天井に近い場所に、小さく採光のための穴が空いているだけで他には何もない。
 暗く侘しい牢獄の壁からは、ほのかに白い光が漏れている。白楼岩かとも思った……でも、違う。
「こんなにも強く、焼きつくものなのですね」
 悲しい声の気配は、翠の髪留めから感じられていたものとまったく同じ。壁を光らせているのは真力。壁の光は、彼女の真力が焼きついた跡だ。
「おい!」
「ローグレストさん、大丈夫……?」
 クルトとユーリちゃんの焦った声に呼ばれ、大急ぎでローグの傍まで行く。
 膝を床につけながら片手で額を抑えているローグは、脂汗をかき、苦痛に歪んだ顔で一人耐えていた。
「真眼を閉じておけ」
 言ってはみたが、こいつが言うことを素直に聞かないのはわかっていた。
 どんなに苦痛でも……それが相棒の残した気配だというなら、自身がどうなろうと受け入れる。こいつはそういう奴で、二人はそういう番なんだ。
「さすがに、夜でも消えないわね……。ここなら使えそう」
 ゆるぎない相棒の声が、りんりんと響く。
 何かを確かめていたレアノアは、くるりと振り返ってローグに問う。
「辛いなら出ていて」
 首を振ったローグから、ぽたぽたと汗が散る。呼吸に合わせてゆれるその肩に、手を置いた。
「レニー、いいよ」

 獄の中心に立ったレアノアが、真円を描く。
 滑らかに描かれた真円は、左右に規則正しく旋回している。音もなく展開をはじめる真術は、少し前に触れたことがあった。誘拐された琥珀の友人の部屋で、ジェダスが放っていた真術。
「投影か……」
 唸るようにクルトが言う。
 直近の過去を映し出す真術。導士の身では、遠い過去を映すのは難しいという。それ以前に、これだけの気配で乱された場所。真術を展開するのも難しそうだ。でも、レアノアなら――。
「……あまりしゃべらないで。それから絶対に動かないで。合わせるのが難しいから集中させて頂戴」
 水を打ったような静けさの中、幻が映し出される。
 白い円の中に、座り込んだ小さな人影。

 黒髪がゆれる。

 壁に向かって、ぺたりと座り込んでいる彼女の表情は、こちらからでは窺えない。
 俯いているせいか、いつもよりも身体が小さいように見えた。ローブは羽織っていない。足には鉄の枷がつけられている。両手には枷がついていなかった。背後からでも確認ができたのは、彼女が両手を上げていたからだ。
 白い手で耳を塞いでいたからだ。
 両耳を塞ぎ、小さく小さくなっている友人の身体がびくりと跳ねた。しっかり目を凝らして見れば、小刻みに身体を震わせている。
 必死に音を塞ごうとしている友人。彼女の心を幻から読み取ろうと試みる。

(ああ……)

 幻から声が聞こえる。
 ローグが大きく息を吸った。幻に向かって呼びかけようとしたローグを、クルトと一緒になって抑えつける。
 瞬きを忘れた黒が幻を追っている。
 痛々しい眼差しから目を逸らし、あの日に起こった真実へと視線を移した。
 身を竦め、震えている彼女は、何から逃れようとしているのだろう。両耳をきつく塞ぎ、時々かぶりを振っている。
「声だ……」
 口元を覆いつつ、そう言ったのはティピアちゃんで。極力、音を大きくしないよう努力しているらしい友人は、怯える幻から目を逸らさずにつぶやいた。
 言葉の意味を考え、腑に落ちたと同時に辛くなった。
 ここは、無実の民が収容されている牢獄の塔。
 悪名高き領主の姦計にかかった者達は、ちゃんと外に出られたのか。全員無事に出られたのか。
 ここで一生を終えた者だっていたんじゃないか。

 彼女は異能の真導士。
 遠く離れた気配を読み、残された声を聞くことができる稀有な力の持ち主。



 塔の中で、彼女が平静を保てるわけがなかったんだ。

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