蒼天のかけら  第九章  暗流の青史


犬の遠吠え


 とても不満だった。

 不満なので「不満です」という顔をしっかりと作っていた。
 だのに、青銀の真導士はまったく気にも留めない。そんな風だから、ますます不満が募っていく。
 襲撃を受けて、逃避行を試みた挙句、青銀の真導士に連れ去られてきた。
 婦女子を略取するのは重犯罪である。憲兵に見つかれば、即座に獄門行き。罪を重ねていれば打ち首だってあり得る。罪が露見する前に、早く家に帰してくれ。
 そんなことを口やかましく喚きたててみたのに、バトはどこ吹く風と涼しい顔で流してくれた。
 あの人は、話を聞いていない。
 これっぽっちも聞いていない。
 あの耳にはきっと細工が成されているのだ。都合の悪い話や、聞きたくない話が出た時は、勝手に蓋がされるようになっているのだ。当人が聞いたら呆れ顔を作りそうなことを、一人真剣に考えていた。

 自分はいま、完全に囲われている。
 艶めいた意味ではない。文字通りただ囲われているのだ。
 窓の外は、鬱蒼と生い茂る樹木。
 高士地区であれば導士地区のように整えられている。道もあり、家を建てやすいように大半は芝生となっていると聞いた。見渡す限り樹木で埋まっているこの場所は、高士地区ではない。だから青銀の真導士が出かけたのを見計らって、真眼を開いて確認してみた。それで自分がどこにいるのか、ようやくわかった。
 ここは里の西側。
 いまは誰も利用していないとされる、里の空白地帯。そんなところに不機嫌な真導士は居を構えていたらしい。
 そういえば、バトと初めて会ったのも里の西側だった。あの時は、何でこんなところに人が……と思っていたけれど。どうもあの人の家の近くで"暴走"を起こしかけていたようだ。
 普段であれば申し訳ないとでも思っただろう。しかし、いまの自分ではそうは思えない。
 顔をしかめながら窓の外を見て、時が流れていくのをじっと待っている。

 バトの家には、ほとんど何もない。
 寝床とごく小さい衣装棚と、申し訳程度に置かれている小物。
 それだけだ。
 暇を潰そうと掃除をしてみたけれど、恐ろしいぐらいの早さで終わってしまった。ならば食事の支度でもと思いついたが、食材類の用意がなかった。食器類はグラスと小皿が、片手で足りる数だけ置いてあり、あとはナイフとフォークが一つずつ。
 本当にそれだけだった。
 自分で料理をするとは思っていなかった。それにしても、あまりにひどい有様である。自分をこんなところに放り込んだ犯人は、どこかに向かったきりだ。
 出て行く前に言われたことは、たったの三つ。

 家からは出るな。
 部屋は好きに使え。
 おとなしくしていろ。

 反論すらも寄せつけず。何かあれば連絡するようにと黙契の輝尚石を渡され、家を出て行ってしまった。
 バトと会話をしたのは、家に連れてこられてすぐの時と、言い置きをしていった時の二度だけ。
 当初は、自分もかなり混乱していた。冷静に話をできる状態でなかったし、バトもバトで相当機嫌を悪くしていた。そんなこんなで話しらしい話しをする前に、真術で眠りに落とされてしまった。
 起きた時にはもう昼近い頃合で、その頃にはバトの姿は見えず、品の良い木箱だけが置かれていた。
 何だろうと覗き見たら、これは娘用の衣服であった。
 絹を使った都仕様のその服は、コンラートに用意をさせたものだろう。怒ってもいたし拗ねてもいが、破かれた衣服をまとっているのも恥ずかしいと、感情を押し殺して着替えておいた。
 薄い布地が含まれている服なので、大変動きづらい。袖と裾についているひらひらしたレースも、動くたびにこそばゆくて……掃除の時には難儀したものだ。
 結局、やることを失ったので、部屋の窓辺から外の世界を眺めていた。
 青銀の真導士のやりように反発して、外に出てみるかとも思った。しかし、どうも気が乗らず、仕方なしに言い置きを守る格好となっている。

 生い茂る緑がゆれ動く度に、迎えがきたのかと期待を寄せて落胆する。
 彼は無事だろうか。
 キクリ正師が来てくれたのだから無事に決まっている。信じようとしてみても不安が胸を痛めつける。
 血に濡れた漆黒を思い出すたび、立ち上がってどこへともなく走り出したくなる。じっとしていられないほどの焦りを持て余し、ただ途方に暮れる。
(ローグ……)
 恋しいその名を無為に繰り返し、寂しさを募らせる。
 その時、居間の方で真術の気配がした。
 反射的に顔を上げて、居間へと通じる扉を見た。
 凍えた真力が家に満ちてきた。気のせいではない、犯人が帰ってきたのだ。
 よし、と気合を入れて立ち上がる。そろそろと進み、黙契の輝尚石を扉に当ててからそっと押した。音もなく開かれた扉の向こうには、フードを下ろしたばかりの青銀の真導士がいた。
 相も変わらず不機嫌そうだ。
 しかし、気圧されてはならない。
 自分は怒っているのである。時間の経過につれ感情が薄れはじめているが、とにかくもう怒っているのである。
 向かい合った状態で、睨みつける。

「腹でも減らしたのか」
「違います」
「散歩が足りんか」
「……いい加減にしてください」
「では、何だ」
「家に帰してください」
「諦めの悪い」
 そうとだけ言って、またどこかへ行こうとした青銀の真導士のローブを捕まえる。
「ローグが心配なので家に帰りたいのです」
「"黒いの"なら家におらん。中央棟だ」
「え……?」
「キクリとかいう正師の元で、しばらく過ごすことになる」
 それはどういうことだろう? 大怪我をしていたから治療のためだろうか。でも、キクリ正師は蠱惑のはず。
 違和感が残る内容に、小首を傾げる。
「どうしてでしょう」
「さてな。上層の決定だ。俺が関知するべき事柄ではない」
「では、わたしも中央棟に行きます」
「お前は行かせぬ」
「な――」
 質問を手で遮られる。
 突然、降ってきた緊迫感のある空気。
 無言のまま外を窺っているバトの横顔が、一呼吸の内に冷たく引き締められる。

 屈めと合図してきたので、素直に従った。
 床に座り、できるだけ身を低くして様子を窺う。凍えるような真冬の真力が放出された。強く押し出された気配が、がらんとした家から夏の色を抜き去っていく。
 しばらくして、草を踏みしめる音が聞こえてきた。
 二人……三人。
 三人分の足音は、扉の外で止まり。けれど、扉を叩くことはなくそこにいる。

「何者か」
「第一部隊のグレッグと申す」
「見回り部隊が何用だ」
 身体に緊張が走る。
 見回り部隊が訪ねてきた……。自分を追ってきたのか。
「第五部隊の件について説明に参上した。隊長よりの伝言も預かっている」
「必要ない。帰って隊長に伝えろ。余計なことにかまけている暇があれば、部隊の綱紀を締め直せと」
 頭に重みが加わった。
 帽子越しにバトの手が置かれている。動くな、だろうか。
 読み解けぬ意図に困惑しつつも、気配を殺した状態で待つ。緊張の時間は長く続かなかった。バトの返答を受け取った男達は、すぐに立ち去っていった。
 いいぞと言葉をかけられた。しかし、ぼうっとしてしまって返事ができない。
 それをどう思ったのか。
 バトに腕を引かれ、どうにか立ち上がる。見上げた先にある青銀の輝きが、徐々に緊張をほぐしていく。気が緩んだところで、自然と礼の言葉が出た。
 そうしたら頭に手を置かれた。
 何でまたと、重みに抵抗してみたが、表情が見えるところまで視線が上がらない。
「バトさん、重いです」
 抗議の言葉を聞いているのか、いないのか。
 手を置いたまま、青銀の真導士は冷笑を出した。
「やればできるな」
「何がでしょう?」
「これで三つ目だ」
 何を言っているのかさっぱりだ。
 しかも、いつの間にやら機嫌が少しだけよくなっている。思考の読みづらさはいつも通りだ。
「"取って来い"と"待て"。いまので"伏せ"まで覚えた」

 ――次は、何を躾けようか。

 冷笑と共に出された気の利かない一言。



 サガノトスの西側に、甲高い遠吠えが響いたのは当然の結果といえよう。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system