蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


いけない


「――よし、一件落着だ」

 店の外に出た赤毛の友人は、満面の笑みを浮かべた。
 背中に戦利品を括りつけて、至極ご満悦な様子だ。これで解決と言わんばかりの態度に不安が募る。
「ちゃんと謝ってくださいね」
「お前、意外と口うるさいのな」
 失敬な。
 半目になっている友人に対して、負けじと同じことしておく。
「ま、いいか。手鏡は買えたし、あとは焼き菓子でも買って帰れば大丈夫だろ」
 神殿の近くに美味しい焼き菓子を売っている店があり、彼の幼馴染が気に入っているらしい。
 機嫌直し用にだろう。
 買って帰ろうとの誘いを受けた。そして込み入った道から外れ、人通りが少ない方へ流れる。
 束の間、視界に影が落ちた。空を見上げれば、大きな鳥が上空を優雅に飛んでいた。聖都でここまで大きな鳥を見たのははじめてだ。風に乗って遊んでいる姿が目にまぶしい。
 きれいな白い翼を大きく広げて、気分よさそうに飛んでいる姿に惹かれた。
 鳥の名前を聞いてみようか。
 いや、クルトはそもそも鳥の名前に興味があるだろうか。
 忘れかけていたけれど、人に頼り過ぎだ。息を吐く間もないくらい大きな騒動が続いていたから、記憶から薄れかけていた。自分はもっと成長しないといけないのだった。
「サキ、もっと深く被れ」
 空を振り仰いでいたら、被っていた布が落ちかけていた。
 赤毛の友人は娘に対してあまり気を使わないようで、勝手にかぶり布を解いて結び直しはじめた。その大雑把な対応は心地よくもあったので、唯々諾々と受け入れる。
 そうやってできた無言の隙間に、元気な声がよみがえってきた。

(クルトは小さい時に木から落ちて、頭を切ったことがあるんだよ)

 いまでも傷口が残っていると聞いた。
 どこにあるのだろうかと、暇になってしまった視線をうろうろとさせ探す。
 短い赤毛の下に、固そうな木の装飾がいくつか下がっている。真ん中の装飾から見て右上に、白い一筋の線が走っていた。
「傷口、残ってるのですね」
「あん?」
「木から落ちたって」
 言えば、そのことかと苦笑いをした。
「余計な話ばっかりしてるみたいだな。おしゃべりで困る。あれはおばさん似だ」
 照れ臭そうに顔を伏せながら語る。
 心がぬくもるのをゆったりと感じていると、周囲の気配が変わった。



 一瞬で周囲が緑に染まる。
 見渡す限り大きな葉が茂り。上からはわずかな木漏れ日が差している。

 あっと息を飲む。
 また、だ。

 また夢に乗ってしまったと理解し、見える範囲で状況を分析する。
 手に、足に。どうにもごつごつとした感触がある。大きな木の太い枝を足場にしているようだ。
 笑い声がした。
 子供特有の甲高い声。さっと視線が流れて、声の主を捉える。
 萌黄色の髪を、頭の高い位置で括った少女の姿。薄い桃の瞳をきらきらとさせて、自分の真下を眺めている。
 下を見ている彼女の首には、黄色い紋――清めの印が刻まれた木の首飾り。
 ユーリだ。
 幼い二人の時間に、入り込んだのだ。

(すごいね!)

 ここまでこれたと、高い声がはしゃぐ。眼下には草むらが広がっている。
 乗っていたクルトの心が動いた。
 誇らしげに。
 とても楽しそうに。
 そうして頭上を振り仰いだ。木漏れ日の道には、まだまだ幹が続いている。
 道を確かめた時、気持ちの一箇所が大きく膨らんだ。少し前に、同じ気持ちを抱えたことがある。
 これはたぶん好奇心と呼ぶのだ。

(行ってみようぜ!)

 わくわくと彼女を誘う。
 桃の瞳がこちらを見て、うんと頷いたその時。彼女の位置が不自然にずれた。
 急激に冷えた心が、夢中になって彼を動かす。

(ばか!)

 手を伸ばし、ユーリを支えるように引っ張って――視界が崩れた。
 仰ぐように見たものは、強く幹にしがみついている彼女の姿。

 葉と枝の悲鳴が続き、大きく鈍い音がして暗転する。



 耳に触れる音が、徐々に鮮明さを取り戻してきた。目の前には結び目を確認している赤毛の友人。
 幼い子供達はもうどこにもいない。
 鼓動が跳ねている。細く呼吸をして、なだらかにさせる。

「できたぜ」
「ありがとうございます」
 クルトの様子から、何の影響もなかったのだと胸を撫で下ろした。
 悪いことをした。
 他人の日記を盗み見たような気分だ。気づかれない方がいいだろう。
 行こうぜと呼ばれて素直に返答をする。
 用事が済んだせいか。歩きがゆっくりになってきた友人の隣に並んで歩く。上空から、先ほどの鳥の姿が消えている。名前はわからずじまい。残念である。
 見上げていた顔を通りに下ろし、人がまばらな道で気になる影を見つけた。
 自分達から見て右側の路地に、怪しげな動きをしている人がいる。
 そうっと路地から首を伸ばして神殿方向の通りを窺い。またゆっくりと首を引っ込めて、今度はこちら側を窺っている。

 明らかに変だ。

 目深に被った布地。
 強い日差しが濃い影を生み、目の辺りの人相がさっぱりな怪しいその人。
 いかにも潜んでいますといった動きをする人影は、自分達を見た瞬間、飛び上がらんばかりに驚いた。
 「わ」の形で開けられた口に、細い両手が被さる。
 声を出したのか、それとも潰したのか。声はこちらまで届いてこなかった。
 くるりと身を翻し、路地へ入り込んだその人。
 これで気にならないのはどうかしている。どこか違うところを見ていて気づかなかったらしいクルトを置いて、一人路地に向かって走る。後ろから「どうしたんだ」と慌てた声がしているけれど、いまはその人を追うのに専念する。
 もしかしてという予感があった。
 箒を立てかけている壁を曲がり、人影が去っていった路地に入る。大急ぎで駆け去って行こうとする人影は、存外に長い路地の中にいた。

「ユーリ……!?」

 振り向いた彼女は「しまった」という顔つきになった。
 あわあわとしている彼女に、どうしてこんな場所にいるのか聞こうとした時。後方から怒声が駆け抜けてきた。
「何やってんだ、お前!」
 肩を怒らせ、眉を吊り上げているクルトがこちらに向かってきていた。
 地面を割るのではと……案じるほどの力で歩みを進めるクルトに対して、ユーリはじりじりと後ろに下がっていく。そうしながら、抱えていた袋を背中にかばったので、声を出してしまった。
 自分すら気づいたのだ。
 彼女を誰よりも理解している幼馴染が、それを見逃すはずはなかった。
「出せ」
 簡潔で暴力的な指示を、彼女は断固として拒んだ。
「やだ」
 ふるりと震えた三つ編み。
 わずか涙ぐんでいる桃の瞳に、ゆるぎない決意が見て取れた。
「いいから出せ」
「絶対やだ。やだったらやだ!」
 背中に隠していた袋を抱えなおし、逃げようとしたユーリ。そんな彼女を、大またで三歩走ったクルトが捕まえた。
 間に入ろうとするより早く、袋がクルトの手に渡る。

「やだ、返してっ!!」

 必死なユーリの手を除け。袋から取り出したのは、繊細な花の細工がされている手鏡だった。

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