蒼天のかけら  第十章  晦冥の牙


合流、散開


 手首に括られた縄を見る。
 きつく縛られているせいで、こすれた場所が赤くなっていた。

(ユーリちゃん、もらったの?)
 じっとしていると、町の女の子達の顔が思い出される。
(いいなあ)
 言っていたのはどの子だったっけ。昔のことで思い出せなくなってきた。
 不自由な両手。
 でも、後ろで縛られなくてよかった。
 右の親指で紐をひっかける。服の中でするすると動くそれを、やっとのことで取り出した。
(ユーリ、いいかい。これだけは必ず着けていなさい。いまはわからないだろうけど、大事なものだ。必要にならなければ、越したことはないけれどね)
(お父さんだって、ユーリのことを思って言っているの)
 知ってるよ。
 わかってたよ。でも、どうしても我慢できなかったんだ。
 取り出したものに唇を押し当てて、目を閉じる。
(――わかったね、ユーリ)






 待ってくれと言うよりも早く赤が動き、男に攻撃を加えた。
 クルトが手にしているのは長い棒。槍のような棒を巧みに扱い、狭い通路で男を追い詰めていく。
「まーた、威勢のいい小僧っこだ」
 つかんでいた上着は、瞬きの間に解かれた。
 長い人影が宙に舞う。
 自身の重みを無視しているかのような動きで、男がクルトの攻撃をかわしていく。
 その動きに焦れたのか、ひときわ鋭い突きが出た。
「おっと!」
 突き出された棒を、男が両手で止める。ぎりぎりとした拮抗が生まれ、そこでようやく声の出し方を思い出す。

「クルトさん、違います。この人は救援です!」

「――救援?」
 話がついたと思ったのだろう。男がつかんでいた棒を離して両手を上げ、ひらひらと振る。
 戦いの意志がないことを確認した赤毛の友人は、離された棒を背に回した。
「おう、救援だ。お前が報告にあったお嬢ちゃんの同行者だな。あの娘っこの方は、たまたまか」
 クルトの顔に、苦いものが走った。
「ええ、そうです。偶然そこで会いまして……」
 自分の真眼は閉じたまま。
 鋭敏さを欠く状態でも、友人の心情は察することができた。
「よし、そんなら話は早い。オレはこのまま娘っこの救出に向かう。二人は里に戻れ。里に戻り次第、ことの経緯を正師に報告して、至急追加の救援を――」
「断る」
 噴出した言葉は、そのまま男に向かって飛んだ。
 相手は高士。
 目上の相手にまずいだろうと一人慌てる。しかし、赤毛の友人は先ほどよりも表情を固くしながら続けて言う。
「どうせあんたはサキの護衛だろ。こいつには無事に帰ってもらわなきゃ困るし、役割は逆にしてもらいたい」
「威勢がいいことだ。けどな、導士の安全はいまや里の優先事項。上から雷を落とされちゃたまらん。素直に指示に従ってもらいたいもんだ」
「雷が降ろうが槍が降ろうが知ったこっちゃねえ。オレが行く」
 発言の内容が激しくなってきた。
 何かを言わねばと思えども、どう仲裁すべきかわからず……。険悪になりつつある大気の中、ちらちらと二人の顔を見比べる。

「再度命じる。導士サキと共に、里へ帰還せよ」

 肩がびくりと跳ねた。
 いままでの飄然とした様を吹き飛ばした男は、指令を下した。
「無理だ。断る」
 だが、赤毛の友人が返したのは再びの拒否。
 男の表情が様変わりする。背中に冷たい汗が浮いてきた。
「懲罰覚悟か」
「いくらでも」
「何ゆえだ」
「あいつの親に頼まれてる」
「それだけか?」
 続く応酬の合間。遠くから複数の声と足音が聞こえてきた。
 暗い通路に視線を飛ばす。
 どっちだ、どこだという声が聞こえる。
 さっきの男達に違いない。呼びかけようと息を吸ったところで、男が自分を制した。

「返答を」

 居丈高とは違う。それなのに、とても逆らい難い。
「相棒を助けるのに理由が必要か」
 その答えは、男に何をもたらしたのか。
 沈黙の中、少しだけ眉を動かした。そしてポケットから輝尚石を取り出し、クルトに放って投げた。
「お前は別働だ。行け」
 命じるや否や、腰布に隠していた短剣で自身の左腕を切った。
 眼前で赤が散る。
 見ているだけで痛みを覚えた。それなのに、男は平然としたまま指示を追加した。
「奥へ向かえ。娘っこを確保したら合流して帰還する」
 大きく頷いたクルトは、棒を操り落ちてきた天井へと昇った。
「オレの指示がない限り、独断で里へ帰還するな。もし、他の救援に遭遇したら輝尚石を見せろ」
「……あんたの名は」
「ティートーン」

 頭上を足音が抜けていく。
 それを確認した男は自分の身体を壁に押しつけてから、壁に寄りかかり蹲る。頭上の足音と入れ替わるかのように、暗い通路から男達があらわれた。
「おい、お客人。何があった!」
 粘りつくような声。
 自分を売りつけた、例の灰泥だ。
「変な奴が入ってきた。武器を持ってるぞ」
 壁に寄りかかったまま、ティートーンが男に傷口を掲げた。
 短剣で切った傷から鮮血がじわじわと滲み、袖を赤く染めている。かなり深くまで切ったようだ。血はあふれて止まる気配がない。
「こいつは……」
 言ってから男はティートーンを見た。
 声と同じような粘りつく視線だ。息苦しい場の中で、小さく丸くなることに専念する。

「お客人。えらい目に合わせてしまったようで申し訳ねえ。……休める部屋を用意しよう」
「いいや、このまま帰る。ぶっそうな場所に長居する気はない」
 支えようとする手を振り払い、結局結ばれたままになっている縄をぐいと引いてきた。
「せっかく買ったばかりなのに、傷でも付けられてはたまらん。――行くぞ」
 悪人面が、何だかとても様になっている。
 これなら外に出るまで上手く隠し通せると思う。でも外に出てしまったら、赤毛の友人と合流するのが難しくなる。
 一度、外に出てから体勢を立て直すつもりだろうか。
「待ってくんな」
 男がティートーンの肩をつかんだ。
 その声を合図に、周囲の男達が出口側を封鎖するように立つ。
「変事があった時は、地下に潜るのが決まりでね。なあに、入り込んできた虫を捕まえたらすぐにでも帰すさ。もちろん足もつけよう。傷も深そうだ、手当てと……そうだな、土産を用意する。こいつで手打ちにしちゃくれねえか」
 男が言って、緊迫の時が流れた。
「……足は早いものにしてくれ。帰りは急ぎだ」
 男は大仰な笑顔を向けた。
「もちろんだ。……おい、お連れしろ」
 へい、という返事が通路の奥の方へ小さく反響した。
 案内役となった青白い顔の男は、悪人面のままでいる高士に何がしかを語りかけた。
 ぼそぼそとした声だったので聞き取りづらい。
 話しかけられたティートーンが、手を軽く振って拒否を示す。どうも縄をどちらが握るかという話だったらしい。
「部屋についたら、こいつに水を持ってきてくれ。倒れられたら面倒だ」
 続く会話の隙をみて、ちらりと後方を振り返った。
 赤毛の友人が昇っていた穴を、残った男達が検分している。その内の一人が、隣の男の肩を借りてどうにか昇ろうとし出した。
 クルトは大丈夫だろう。
 いざとなれば真術を使えばいい。

 縄で縛りつけられた両手を強く握る。
 背中がざわついている。
 奥へと向かうごとに頭が重くなっていく。しばらく歩いていくと、痛みすら感じるようになってきた。

 ――何かがある。

 感じていて、無意識に目を逸らしていた感覚。
 とうとう、頭の中で答えを言葉を紡ぎ出してしまった。心臓が大きく鐘を打ち鳴らしはじめる。



 何て間が悪い。
 心でぼやいてから誰にも気づかれないよう、歯を食いしばって耐えることにした。

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