蒼天のかけら  第十一章  神籬の遺跡


一時休戦


「貧血。それから睡眠不足」

 どちらかと言えば睡眠不足が主な原因。
 依頼が多い睡眠剤。自慢の薬湯にまた出番がきてしまった。うれしいようで、うれしくないようで。
 んー……、やっぱりうれしくない。

 診察中の同席を断ったイクサ。
 相手はお嬢さんなので当然と言えば当然。頑なに同席を主張したローグとは大違いだ。頼みを聞いて同席してくれたサキちゃんに手伝ってもらい、やっとこさ診察を終えた。
 後の世話を頼んで一足先に戻った居間には、微妙な雰囲気に満ちていた。ついてきた癖に仏頂面でいるローグと、神妙な顔をしているイクサとが同じ場所にいれば、そりゃ大気だっておかしくなるだろう。
 戻った途端、具合を聞いてきたので診察結果を伝える。「そうか」と言って黙った男に対しどうやって説教を垂れようかと、腹で薬湯を煮立たせている最中だ。
「ディアは」
「眠ってるよ。世話はサキちゃんにお願いしているから大丈夫」
 あちらはあちらで微妙な顔をしていた。
 明らかに仲違いをしている二人だ。まあ、何とかなるだろう。ちょっとしたボタンの掛け違いだと、正鵠の勘が言っている。
 どちらかが一方的に相手をやり込めているなら、二人きりにはしない。けれど、お互いが言いたいことを言い合っている状態だから、きっかけがあれば直せそうだと思っている。

 問題は、こっちの頑固二人。特にイクサの方。

 つい昨日まではローグが主因だと思い込んでた。ここにきて考えを改める必要が出てきたみたいだ。
 茶がいいか、水がいいかと聞いてきたので茶を所望しておく。時間がかかる。こういう時は、水よりも茶がいい。
「実習中に診察をさせてすまなかったね」
「別にいいよー。予定を組んで、病気になる患者なんていないからさ」
 慣れっこだと返事をして、目を覗く。
 困ったような笑顔のせいで感情が拾いづらい。いっそのこと仏頂面でもしていてもらえないかな。
 想像以上に、こいつの笑顔は曲者だ。
「いつから具合が悪くなってたんだ」
 天井ばかり見ていたローグが、イクサに目を向けた。
「……少し前から。季節の変わり目だからだろうか」
 鉄壁の笑顔にほんの少し、ひびが入った。
「最近は学舎に来てなかったよな」
「行く日もあるよ。ここ二、三日は辛そうだったから安静にさせていた」
「医者には」
「一度、聖都に下りた。滋養をとって安静にしているようにと……。薬ももらってきていてね。毎日きちんと飲ませている」
 言いながら、イクサが棚から袋を取り出して渡してきた。
 遠慮なく中身を確認させてもらう。収められている小袋に、それぞれ薬の名前が書かれている。
 袋の奥には小瓶も入っていた。
「へー。王乳も出してもらったのか」
「薦められたんだよ。ディアもこれなら口にするから」
 ひびの隙間から、本音が見え隠れする。

 ……口にする、ね。
 大半のものが食べられないと、言っているようなものじゃないか。

「飯は元気の種。食えなくなったら衰弱するのは当たり前。何日も放っておくとどうなるか、身に沁みてわかっただろ」
 腹の中で煮立たせていた薬湯と、ざばっとぶっかけてやった。
「連中と揉めてたんだってな。ディアちゃんは、それで倒れたのか」
 首を振ったイクサから、ついに笑顔が落ちた。
「いや、眩暈がすると言って……」
 聞けば、林に転送された時から気分を悪くしていたんだとか。
 とにかく休ませようと木陰を探していたら、周りを囲まれてしまったんだと。
「移動中と言ったけど、あの顔色だ。本当は今朝から体調が悪化していたんじゃないのか? 林に入る前なら時間は十分にあったはず。オレが医者だって言わなかったっけ」
 ローグが何か言おうと口を開いた。
 でも、いまは無視。とにかく無視だ。
「ああ」
「半人前には任せられないってわけか」
 煮立った薬湯はまだまだ残っている。
 自虐にふけるつもりは毛頭ないけど、イクサに効果的な言葉はこんなとこだろ。
「違う。誤解をさせたのなら謝罪する。……ディアにとっては大きな問題だったんだ。医者とはいえ、同年齢の男には診察されたくないと。娘さん特有の抵抗感だと思う。彼女にも悪気があったわけではないよ」
 言ったらすぐさま否定してきた。
 予想的中、どんぴしゃだ。
 薬湯の効果を確認して、溜飲を下げた。これからは患者を隠すこともないだろう。

 ま、ディアちゃんが嫌がったのは普通の反応だ。
 年頃のお嬢さんは扱いが難しい。お嬢さん方が駆け込む医者は、年寄りと決まっている。経験を積んでいるというのもあるけど、男女を意識せずにいられることが何より重要なんだろう。
 よくある話過ぎて、いまさらその程度で矜持が砕かれたりしない。
「薬も王乳も飲んでただろうけど、飯が食えないんだったら他にやりようはあっただろ? それこそ、食堂に頼んで食べやすいものを作ってもらうとか、正師に相談するとかさ。オレだって相談に乗るし、他の連中だってお前が頼めば協力してくれたはずだ」
「……そうだね。彼女を安静にさせることばかり考えていた。すまない、オレの誤断だったようだ」
 どこかで聞いた口上を述べたものだから、すっかり気配を消していた誰かさんの顔が、変な風に曲がった。

 似た者同士。大変、結構なことで。

「年頃のお嬢さんは、何かと体調を崩しやすい。親元から離されて、知り合いもいない場所に押し込められて。しかも見ず知らずの男と二人暮らしになったんだ。不安なことも多いに決まってる。ちゃんと気遣ってやらないと駄目だろ。相手の希望を叶えるのもいいけど、正しい判断だとは限らない。そこはイクサがしっかりしないと」
 な、と仏頂面の誰かさんに同意を求めた。
 思い当たる節だらけだったんだろう。ますます奇妙な顔つきになった誰かさんが、えらく弱気な同意を返してきた。
 「面目ない」と謝罪してきたイクサも、たぶん同じようなもんだ。
 ……まったく。こいつら揃って何やってんだか。
 腹の中がすっきりしたからか、ちょっとばかり落ち着いてきた。
 反省の様子も見えるし、あとは今後の方針を決めておけば、今夜のところは大丈夫かな。

「ディアちゃんが嫌がっても診察はオレがやる。実習中でもあるし、里に一人で戻すよりはいいだろ。診察の同席はお嬢さん方にしてもらう。お嬢さん方への声掛けもオレがやるから、心配しなくていい」
 知っている限り、ここの番には特別仲のいい導士がいない。
 イクサは全方位に気遣いができる男だ。でも、お嬢さん方とは一定の距離を保っているから、同席相手を探すのも一苦労のはず。
 きっと、天水のお嬢さん方は協力してくれる。
 サキちゃんだって、渋々な感じはありつつ面倒を看てくれているし、頼めば病人食の用意もしてくれるはず。
 心優しいお嬢さん方が近くにいて助かった。知り合いが麗しの相棒だけだったら、こうはいかない。
「実習中はオレ達とつるめばいい。ギャスパル達がちょっかいかけてきても、どうにかする。……そうだよな、ローグ」
「な、ヤクス――」
 眉間に力を入れて睨んでおいた。
 抗議しようとしてきたカルデス商人は、半端に口を開けてそのまま閉じた。
 額に手を当ててから「どうしてこうなる」とぼやいたようだったけど、これもきっぱり無視をした。
「オレは正鵠だからな。燠火同士の意地の張り合いに巻き込まれるのはごめんだ。そんでもって患者が巻き込まれるっていうなら全力で阻止する」
 完全に力が抜けたローグは、腕を組んだまま椅子深くへと沈んだ。対するイクサは、ひびでぼろぼろになった笑いを浮かべて「怖いな」と言った。一連の流れ上、このぼやきも徹底的に無視をする。

「一時休戦。二人とも文句はないよな?」

 返事はなかった。ついでに異議も出なかった。
 つまりは了承したということにして、淹れてもらった茶を一息にあおって飲み干してやった。
 任務完了。気分爽快だ。

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