蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
涙とおたまと昼食会
「そうか、真導士に。女神さまの思し召しじゃろう。ありがたいこと……」
同席を許された自分とヤクスとで、感動の再会を見守っている。
すっかり感化された様子の大先生は、さっきから横でぐずぐずと鼻を鳴らしていた。
こんなに涙もろくて医者が務まるものかと意外に思う。
「会いたかったよな。心配していたもんなー……」
「ああ」
ぐしゃぐしゃになった手布で涙を拭っているのを見かね、自分の手布を渡す。受け取ったヤクスは、それでさっそく鼻をかんだ。
こいつ、人の親切心をなんだと思っているのか……。
洗って返せよと言い置いて、彼女へ視線を戻す。
よかったと心から思う。
幼子のように泣き続ける寂しがりの恋人には、彼女の身を案じ、幸福を望んでくれる人がいた。
村長の方でもサキを探していたそうだ。
ビエタという町に身を寄せている村長は、聖都に向かう町の者が出るたびに、もし見かけたら渡してくれと手紙を書いていたらしい。
先日、国王の名でまとまった生活資金が届き、次に乗り合いの馬車がきたら聖都ダールに向かうつもりでもいたようだ。もしダールに姿がなければ、近くの町までは足を伸ばそうとしていた、と。
話を聞き、うれし泣きに暮れているサキの気配は、大騒ぎの風を起こしつつも幸せそうに流れている。彼女の幸福を共に噛み締め、悦に入っていたら、外からサキを呼ぶ声が聞こえてきた。
涙をたたえた蜜色が大きく見開かれ、声の主がやってくるであろう扉を注視する。
階段を昇ってくる喧騒が、部屋の中にも届いてきた。
ばたばた、どたどたと騒音が響き、今度は近場で彼女を呼ぶ声がして大音量と共に扉が開かれた。
「サキー!!」
扉を開いた時、すでに号泣していた壮年の男は、右手におたまを持ちながら大声で彼女を呼んだ。
「旦那さん!」
とろけた目から蜜色の涙が散る。甘く笑んだサキは村長から離れ、たっぷりとした男の腹に飛び込んだ。飛び込んできた彼女をおたまと一緒に抱えた男は、これまた大音量でおんおんと泣く。
「誰だろうな……」
ぐずぐずの友人は、また感化されてしまったようで滂沱の涙を流す。
「恐らく食堂の店主だ」
彼女の思い出話に登場することが多かった。おたまも持っているから当たっているだろう。
「サキちゃんのお師匠さんか。うれしいだろうな。オレ達も感謝しないと。飯が美味いもんなー……」
「そうだな」
女神さま、ありがとうございますと泣き出した友人の横で、新たな場面を見守ることにした。
緊迫した実習期間に、こんな日があってもいいだろう。
「皆様方も真導士ですかな」
老爺の語りかけを受け、身体を向ける。
「サキがお世話になっておりますようで……」
彼女の養父は和やかな声で礼を述べてきた。急なことで挨拶を考えていなかったと反省し、誠意だけは見せるぞと腹を括った。
「いーえ、とんでもない。サキちゃんにはオレ等の方がお世話になってますって」
人の覚悟を堂々と踏みにじった友。
その足を、覚悟と同じになれと力を込めて踏みつける。痛みを訴えてきているが放っておく。涙も止まって丁度いいだろう。
「お元気そうで何よりです。サキはずっと心配していましたから」
「ほう、あの子が……」
「手紙も戻ってきてしまったと。どこに身を寄せるのかだけでも聞いておけばと、常々悔いていました」
考えてみたものの、いきなりの挨拶というのは変かと思い、話題を変えた。
老爺が案じていたのはサキのこと。知りたいと願っていたのは彼女のことだ。
「あの子は上手くやれておりますか」
「ええ、もちろんです。仲のいい娘の友人もいます。皆もサキの話を聞いて心配していました。後で呼んでもいいでしょうか」
「ご友人が……。そうですか、そうですか。ぜひともお会いしたい」
目に煌くものを浮かべた老爺は、腹とおたまに包まれているサキを見て、感慨深い表情をする。
「あの子に友達が……」
つぶやき、噛み締めている老爺は、泣き笑いをしている彼女を愛おしそうに見つめる。
何故か死んだ爺様達を思い出してしまい、言葉が出なくなる。
「これこれ、ディオール。いい加減にサキを離しておやりなさい」
村長が息が詰まってしまうと言ったところで、ようやく彼女が解放された。
「そう言いましても村長。サキが、サキが帰ってきたんですよ。喜ばずにいられますか……!」
「喜ぶのもいいがな、まずお二人にご挨拶しないか。真導士のご友人だそうだ」
ご友人という言葉にぐっとなった恋人を見る。
素直過ぎて、何も隠せていない。
「へえ、真導士。サキは本当に真導士となったのですなあ……」
許可は得ていたけれど機会を逸していた。いまがいいと思いフードを外す。
途端、村長と店主が「おや」という顔をした。
奇妙な気配となってしまったので、顔に何かついていたかと焦る。
あ、そっかと同じようにフードを外したヤクスにも、ひとたび視線が流れ、しかしまた戻ってきた。
「はあ……。あんさん、本当に真導士かい。元が役者か何かかねえ。都にはすごいお人がいたもんだなあ」
店主に同意を求められた彼女は、泣きはらした跡すらわからないほど赤く染まった。真っ赤なまま「あの」と「その」と「彼は」を、もごもご繰り返す。赤く熟れた彼女を見て、村長が「ほっほっ」と笑った。
「サキや。大事な話があるなら早く言いなさい」
深いしわのある手が、自分の手に重ねられた。
「ご挨拶が不十分でしたな。わたくしは村長を務めておりましたオーベンと申します。お名前をお聞きしても」
完全にばれたなと、隠し事が下手な恋人を少しばかり恨んだ。
口上が決まるまで時間を稼いでくれてもよかったろう。
「ローグレストと申します。どうぞローグとお呼びください。こちらは友人のヤクス。医者ですので同席しています」
光輝隊向けの言い訳担当だ。
医者がいるから体調についてもまかせろと言うつもりだろう。慧師の同期は曲者揃いだな。
仕切りなおした覚悟の対面。
覚悟を見つけると踏みつけたくなるのか、またもヤクスが余計なことをしてくれた。
大きく鳴った腹時計。
よりによっていまこの時かと睨んでやれば、すまんと口を動かした。
笑いが再会の場に満ちる。
涙の残滓を拭って、店主が村長に声をかけた。
「そうだ村長。サキのお友達を昼餉に招いてはどうですか」
「おお、それはいい。お二人もいかがですかな」
突然の昼食会の誘い。確かに腹が減ってきていたから大歓迎だ。
あいつらを呼んでくると言って部屋を飛び出したお邪魔虫を見送り、まだ赤さを残している恋人に視線を飛ばす。
いまさら「何でおたまを持ってきたんだろう」と小首を傾げているサキ。すっかり油断しているけれど話は流れていない。
「サキには娘支度も満足にさせてやれませんで。ご迷惑はお掛けしていませんか」
ほらきた。
「滅相もない。指南役の間でも礼儀正しいと評判ですし、料理の腕も確かです。彼女の料理ほど美味いものは食べたことがありません」
一緒に住んでいることと、気が強いこと。それから変な虫を招きやすいことは黙っておこう。余計な心配はさせない方がいい。
言えば老爺の目尻がゆったりと下がる。
養父、養女と言っても祖父と孫のような関係なのだろうな。
「ディオール。お前さんの仕込みがよかったようじゃ」
村長の言葉に、恰幅のいい店主は腹を震わせながら照れた。
「うれしいですなあ。……いやいや、それにしてもサキや」
「はい」
「意外と、面食いだったのかい」
周りがしわくちゃばかりで気がつかなかったねえと言って、また大音量で笑う。店主のからかいが、サキを赤く染め直す。
店主に抗議をし、村長に助けを求めている様が愛らしく、笑いはしばらく後まで尾を引いた。
開かれた昼食会は、実習期間中とは思えないくらい豪勢だった。
男の数が多かったこともあり、皿を並べたところで空になるほど大盛況。反響ぶりが店主の心に火をつけたのだろう。
弟子にあれこれと指示を出しつつ、次々と料理を拵えて食卓に並べ。しかし、負けじと腹ぺこ隊が迎え撃つ。
激しい攻防は、食材が尽きたところで終わりを告げた。結果は引き分けだ。
大食らいばかりで気分がいいと、そのまま夕飯の仕込みに入ろうとした店主だったが。激戦が古傷に響いたようで腰をぎっくりとやってしまった。
診察をして癒しを掛けている最中に、見回り部隊から呼び出しがくる。
後のことをヤクスにまかせ、彼女と村長とで向かったのは四階の会議室。
ついに来た千載一遇の時。扉を開ける前に気合を入れ直し、いざ出陣と部屋に足を踏み入れた。