蒼天のかけら 第十一章 神籬の遺跡
食堂の隠し味
今日の朝食は、ディオールさんの担当だ。
サキちゃんのお師匠さんは、弟子が世話になっている礼をしたいと食堂に願い出て承認を得たのだそう。
まあ、食堂の人から休暇願が出たという裏事情もあったらしい。思っていた以上に実習が伸びて、さすがに休みなしではと文句をつけられ、キクリ正師も困っていたんだとか。
「おいしー!」
ユーリちゃんが食べたのは、鳥の肉団子スープ。
甘さからは遠く離れた味で、えらく食欲をそそる。生姜入りなのも味の決め手だ。
「いやあ、つくづく気分がいい。やっぱり若い人達に食べてもらうのが一番だねえ。じい様、ばあ様ばかりだと、歯ごたえの無いものばかりになるし。量もいらないから張り合いがなくて」
恰幅のいいディオールさんは、がつがつと食べて、おかわりに走ってくるのをうれしそうに待ち構えている。
村で食堂をやっている時、食べ残しを片付け続けてこんなお腹になった。君達の食事では残りが少ないからお腹にもいいと、にこにこしている。
朝の食堂には三十人ほどの導士が集っている。他の連中は席が空くまで時間をずらしてるか、もしくは自分で作ってるんだろう。
食堂の味が変わったと朝一で噂が走ったようで、気がついたら満席になっていた。聖都ダール風は続けて食べるのに向いてないから、無理もないよね。
「おっちゃん、おかわり!」
「あ、ボクも」
「こっちもお願いします!!」
一気に食べ終えた男達が、おかわりに群がる。
「おーい、できれば自分達でよそいなって。ディオールさんの腕がつったら、昼食と夕食がなくなっちゃうよ」
言えば、あちこちから「嫌だ」とか「勘弁して」とか騒ぎ出した。
にこにこ顔を深くしたディオールさんは、大きなお腹をゆらして笑う。
「真導士がこれだけいれば大丈夫だ。ほら、並んで待ちなさい。行儀の悪い子は後回しだよ」
はあいと揃った返事が出る。
これじゃ、まるきり町の学舎だ。
おかわりを捌いたディオールさんだったが、今度はオレ達の席までお茶を注ぎにきた。
こういうところが、サキちゃんのお師匠さんだなと強く思わせる。大変見事な師弟っぷりだ。
「サキは楽しくやっているようだね」
女神さまに感謝しなくっちゃと言って、オレのカップにも茶を注いでくれる。
「えへへ、楽しいですよー。この間、サキちゃんとティピアちゃんと三人で、ウサギを抱っこしに行ったんです」
ディオールさんとは慣れようと努力しているティピアちゃんが、ほそほそ声で「かわいかった」とつけ加えた。
「そうかい、そうかい。サキも喜んだだろう。ずうっと子供一人でいたから、友達も作れなくてね」
与えられるものは古い絵本と落書き帳だけでと、目をしばたたかせる。
「五歳の時だったかな。絵本を読んだあの子に、わたしはいつお友達に会えるのと聞かれて、困ってしまってね……」
ディオールさんの大きな鼻に、赤みが差してきた。
「もっと大きくなったらだよって誤魔化すしかなくて。だけど、子供なりにしっかりと覚えていたようで……。その年の春迎祭に、おもちゃをたくさん用意してたんだ。明日は一つお姉さんになるから、お友達に会えるよねって」
……あ、駄目だ。
オレ弱いんだよな、この類の話。
手布持って来たよなと心配になって、ポケットをごそごそやってたらお嬢様に睨まれた。「食事中に埃を立てる気かしら?」って顔がめちゃくちゃ怖い。
とりあえず「ごめん」と口を動かしておく。
「実は、片道の路銀だけ渡して聖都にやったと聞いたから、村長に文句を言ってしまったんだよ。後で謝っておくかね。これだけたくさんのお友達に会えたんだ。サキはこれでよかったんだろうね」
気がついたら、周囲の食卓から話し声が消えていた。
ディオールさんの話に連中も耳を傾けている。かちゃかちゃと食器が鳴っていたけど、話の間にそれも消えた。
根拠なしの選民意識は、いい加減消えてくれただろう。
長々と続く実習のおかげで、身のほどもわきまえられた。高士達からすれば雛の大小なんか大した差じゃない。
大事に抱え込んでいた金の看板が、鍍金だったと理解した気分はどんなもんだろう。
鍍金の看板を掲げて蔑んでいた相手が、他の誰かにとって大切な宝だとわかった衝撃はどれだけ響いたんだろう。
反省しろ。
存分に反省して、深く女神に懺悔するといい。
カルデス商人が後方に控えているから、無理に謝りにこなくてもいい。だけど、二度とするなよとは言ってやりたい。
年を食うと涙もろくなっていけないと、ディオールさんが鼻をすする。
そして、遠くでも鼻をすすっている音がある。オレだってすすりたいけど、いまは辛抱しよう。お隣のお嬢様が絶対に許してくれない。
「すまないねえ、年寄りは昔話が好きで。……ああ、そっちのお友達もお茶はいるかね?」
お友達と呼ばれたディアちゃんは、落としそうなほど目を見開いている。
ようやく自室から出られるようになった患者さん。顔色の白さは、体調のせいだけとも思えない。
「わたし……?」
「そうだよ。ああ、昨日よりは食べられている。どんどんお食べ。お友達の体調が悪いんじゃ、あの子も心配するから」
白い顔にある薄紫の唇が、ぎゅっと縮まった。
「わたし……。わたしは……違う」
彼女の独白をイクサが密やかに咎める。
それが結果的に、彼女の心の炎を燃え上がらせてしまった。
「違う、わたしは友達なんかじゃない。――あんな娘、大嫌いだもの!」
食堂が水を打ったようになった。
ディオールさんがびっくりして止まってしまったのを、患者さん自身が認める。そうしてからぐしゃりと泣きそうに顔をゆがめた。
どうしてだろう。
傷つけると傷つくのは自身なのに。彼女はずっと繰り返している。
今日も同じことをしてしまったディアちゃん。
食堂の注目は否応なく彼女に集まる。いたたまれなくなった顔つきが衆目に晒された。しかし、助けはどこからもやってこない。
当然さ、奴らは奴らで鍍金の心を恥じている。
でも、放置は無理だ。
これではまた悪化する。患者さんのために一肌脱ぐかと、なけなしの矜持をぽいっと捨てた。
それから息を吸って、喉を絞る。
「――わたしだってディアが嫌いです。お互い様ですから!」
言ってからふいっと横を向いた。
ちょっとだけ口は上に。目は閉じるのがコツだ。
高い声を出しておいてあれだけど、思っていた以上に気持ち悪い。ローグの前ではやらないでおこう。
ぶっと汚く噴き出したのは、向かいに座ってたクルトだった。
「似てるぜ、ヤクス」
ええっと声を上げたのは、クルトの横にいたダリオだ。
「似てませんよ!」
隠すと言っていた気持ちは今日も漏らしっぱなし。いつか見つかると周囲の方がびくびくしている。
「似てるって、そっくりだったじゃねえか」
「もう、似てませんてばっ。いまのどこがサキさんですか!?」
言い合いをはじめた二人の周りから、笑いが伝染していく。
笑いが広がり、似てる、似てないで大揉めとなる。お嬢様が気配を出しても止まらない。静かだった食堂で、オレ達の食卓だけ騒がしい。
ぽかんとなってしまったディオールさんが、真似を続けていたオレに聞く。
「……まさか、あの子が?」
「ええ。サキちゃんとディアちゃんは、顔を合わせるとこれですから」
根深いですよと追加したら、ぽかん顔が満面の笑顔になった。
大きな声で笑い出したディオールさんは、これはこれはと後ろ髪を撫でつけている。
「驚いたなあ、あの子には喧嘩友達までできたのかい! 村長に言ったらおったまげるよ」
そう言って、自身の心を傷つけたお嬢さんのカップに、なみなみと茶を注いだ。
「ごめんねえ、後でお詫びにお菓子を作っておこう。村のしわくちゃ達が甘やかしてしまったんだね。さあて、帰ってきたらどんなお仕置きをしようか。村にいる時はいたずらをしなかったから、いまさら考えるのも一苦労だよ。いやあ、楽しみだ!」
お腹をぶるぶるとさせて炊事場に戻っていったお師匠さんの背中を、ディアちゃんが呆然と追っていた。
炊事場から出ている笑い声を耳に入れながら、食事の続きをする。
「ディア、お食べよ」
毒気が抜かれた患者さんに、イクサが言葉をかけた。
しばらく呆けてから力なくこくんと頷いた患者さんは、顔を俯かせてスープに手をつけた。小さく丸くなって飲みながら、ぽたぽたと涙をこぼしているのが見える。
皆で見ない振りをして、皿を片付けていく。
炊事場から聞こえていた笑いは、いつしか嗚咽になっていた。うれし泣きを隠し味にした昼食は、少しだけしょっぱくなるはずだ。
ダール風に飽きたオレ達にはぴったりだろう。
今日もよく晴れた。
やさしく微笑む女神さまは、じっくりと下界をご覧になっている。