蒼天のかけら 第十二章 譎詐の森
形勢逆転
もうもうと上がる土煙。
切り刻まれ、空に飛ばされた草木が容赦なく降り注いでくる。
右腕で顔をかばいながら土煙の谷間に目を凝らす。
森と草原の境目。
描かれていた正鵠の真円は、まだ保たれていた。
ヤクスの周囲に風が渦巻いている。山分けした輝尚石で風の結界を構築している男達に、今度は炎豪が襲い掛かってきた。
咄嗟にポケットへと手を伸ばし、忍ばせていた真力の輝尚石を投げつけた。
飛んでいく輝尚石に意識を集中し、炎豪に接触した瞬間、一気に起爆する。
網膜を焼くような光が一面を照らす。
真夜中の箱庭に日が昇ったようだった。光が完全に収束しきる前に、全景へ視線を巡らせる。
探していた人物は、瞬きの間に草原へと降り立っていた。
乱雑にローブを羽織った男は、気配とは裏腹に冷え切った表情で森を眺めている。横にいるエドガーも険しい顔をしたまま腕を組み、ヤクスの真円を睨んでいた。
問題の番を見て、胸の燻りがよみがえった。
もしかしたらと考えている自分が頭の隅にいる。
土煙が去っていくにつれ、奴等の周囲にある影達の姿も見えてきた。
ギャスパルの向こう。左翼側にあの不愉快な高士、セルゲイが立っている。胸を張り、腰に手をあてている姿は"虚栄"という言葉を贈るに相応しい。
ギャスパルの背後には劫火を帯びた者達が控え、そして――
「――サキ!!」
地面に倒れ伏している人影が二つ。
うつ伏せになっている二つの白に、薄い金が添えられていた。慣れ親しんだ彼女の色にまぎれて、闇に濡れた葡萄色もちらついている。
大地に張りつけられている彼女は、幾度呼んでも微動だにしない。気配も感知不可能なほど小さくなっていた。その姿を見ているだけで全身の血が滾り、敵への激情があふれてくる。
「……面倒な奴等だぜ」
フードの影から、猛禽類を思わせる目が覗いている。
声と共に、真眼から真力がこぼれた。
無遠慮に吐き出された真力は大気をただよい、後方に控えた人形達の気配を躍らせる。
誰もがギャスパルに注目している中、エドガーが動いた。
輝尚石を掲げ、ヤクス目掛けて旋風を放つ。境界付近を覆っていた土煙が、大きくかき混ぜられる。煙幕の中から悲鳴が上がった。
次いで盛大に咳き込む音が響き、「伏せてろ」という声が聞こえてくる。
土煙が内側から押され、四方八方に広がった。枯葉と草が大急ぎで後方へと抜けていく。
顔に石つぶてが当たった。大地が降らす横殴りの雨は、ちりちりとした痛みを頬に生む。歯を食いしばったら砂の味がした。
風をやり過ごした後、中央の部隊に目を向ける。
視界が真っ先に拾ったのはクルトの姿。ひびの入った輝尚石を掲げ、エドガーと相対している。
ヤクスは赤毛の友人の影にいた。額を切ったようで、左側の顔が血塗れとなっている。しかし、真眼は血濡れとなっても強い輝きを放ち、光立ち昇る円を愚直に支えていた。
「援護してくれ」
背後にいたフォルに声をかけ、旋風を片手に森を出た。
真円の中にいる娘達は動かない。これはうれしい誤算だった。劫火の毒が薄められた彼女達は、"共鳴主"の元へ戻る気すらも失ったようだ。
立ち尽くし、涙を流しはじめた娘達。解放の時は、目と鼻の先まできている。
「――ローグ、真円を!!」
「まかせろ!」
輝尚石に念じ、空をひた駆ける。大気は冷たく、手と顔の温度を無情に奪っていく。冬にまとわりつかれた身体は、不思議と高揚感に満ちていた。
真眼と真円と輝尚石と。
奇跡と称される世界の合間に、深く闇が敷かれている。二つの相反する世界が、箱庭の中でぶつかり合う。
薄闇の空に雷が走った。
縦横無尽に駆け巡った光は、すんでのところで火花を散らす。
「導士の分際で小生意気な……!」
顔を赤らめている高士は、自分を標的と定めたようだ。
追撃に次ぐ、追撃。
方向を変えるたび輝尚石が鈍く光る。一際派手に広がった雷から辛くも逃れ、静寂が戻ったかと思えた時。突如、三つの火柱がそそり立った。見下ろした場には三人の人形がいた。
残りの人形は、ついに森から出てきた男達と対峙している。
視界の端で娘の何人かが膝をついていた。
「あと少しだ、粘れ!」
指先が逆転の気配に触れた。
左右に散っていた男達も、ギャスパル一味を取り囲む。
エドガーをクルトが。ギャスパルをイクサが引きつけ、残る者達でヤクスと娘達を守り、方々へ援護の手を伸べている。
「迷うな、進め!」
「いけるぞ! もう一押しだ!!」
――旗を立てろ。
共に戦い、共に進む。誰一人欠くこともなく全員で生き残る。
敷かれた命題は、しっかりとした土台となってくれていた。
――そして目指せ。
目的は何か。
助力を得ることか。協力し合うことか。
似て異なるこの二つ。
どちらが答えかと迷っていたが、どちらも違うとの答えを得た。
人は目指す生き物だ。目指す過程で力を合わせはじめるのだ。順序がまったく逆だった。
――話はそれからだ。
伝説は言う。
後進に説教臭いと愚痴られても、それを示し続ける。
進めと。
足を動かせと。率先して動かない奴に、誰が着いていくのかと問いかけてくる。
正鵠アーレスは決して後ろを振り返らずに、宿命の道を歩み続けた。飽きるほど繰り返し聞かされた話を、いま一度強く噛みしめる。
「全員でサガノトスに帰るぞ。わかっているな!!」
男達から応と返ってきた。力強い返事は、身の内にある矜持と闘争心をかきたてる。
さえずりを止めようと思ったのか。
酒に酔ったような顔をしている醜い矜持の塊が、輝尚石を片手に上空へと駆け上がった。誰よりも高く昇ったセルゲイが、下方に向けて輝尚石を構える。
男の手にある輝尚石からは、きつく雷の匂いがしていた。
(多重真円か!?)
敵味方の区別もせず、攻撃を加える腹づもりのようだ。
そうはさせるかと輝尚石を握り、セルゲイ目掛けて投げつけた。近づいてくる輝尚石が真力のみを含んでいると察知したのか。血走った目を大きく見開き、あたふたと風を呼んで身を捩った。
体勢を崩した男に、残り少ない旋風を放っておく。
風に巻き取られ、ぐるぐると回った男の手から雷の輝尚石が離れた。逃すものかと強く念じ、その破滅を願う。男の情けない悲鳴に覆いかぶさるように、輝尚石が甲高い音を出して爆発する。粉雪のように散る水晶の群れから、柔い光が飛び出してくる。
解放された喜びに舞う光の粒達。
精霊達に向けて、真力をふんだんに放出する。こいつらは実に素直だ。ついてこいとささやけば、踊りながらやってくる。
手元の輝尚石も砕け、同じように飛び出してきた粒達が踊りの輪に加わった。
粒の外套を羽織り、真円を描く。
思いのままに描き、重ね、願った通りに風を生む。奇跡の力がようやくこの手に戻ってきた。
「食らえ!!」
溜まっていた鬱憤を混ぜて、醜い男に風を見舞う。
先ほど以上に情けない声が、大気中に広がった。糸の切れた凧のように落ちていくのを見届け、主戦場へと視線を戻す。
途端、鋭い視線とかち合った。
いつの間にか後方へと下がっていた問題の番が、こちらへと輝尚石を掲げている。
炎と旋風が夜を焦がした。
吐き出された火炎流は草原全体を照らす。そこで箱庭の箱庭たる所以を見つけた。
草原の果てに壁がある。
陽炎のようなもやの先にあるのは白楼岩の光。
その光の手前。いまにも陽炎に飲まれそうな一軒の小屋が建っている。直感に従って二重に束ねた旋風を走らせた。
暴風の直撃を受けた小屋は、中身を撒き散らしながら陽炎の中で消失していく。
地面に残されたのは大量の星――輝尚石の大群だ。
「何をする!」
エドガーの叫びは、高揚した頭に心地よく響いた。
――何をする、だって?
「こうするに決まっているだろう!!」
遠くで輝尚石の大群が"暴発"した。
火薬庫に点火したような爆発が起きる。真力の輝尚石もあったのか、その勢いは留まることを知らない。
熱い突風がやってきた。
彼方からの使者は人が空にいることを許さず、全員を大地に帰還させる。
自分も例外に加われず、背中から着地するはめになった。されど怪我に見合う成果を得た。場に似つかわしくない笑いが、腹からじわじわとせり上がってくる。
「精霊だ!!」
歓声が聞こえる。
狭苦しい水晶から脱走した精霊達が、自由を満喫しに戻ってきたのだ。
歓声の合間に、輝尚石の割れる音が聞こえてきた。徐々に増えていく合唱の上、高い声が重なった。
「……ああ、身体が動くわ!」
形勢は逆転した。